眠り薬
例年、夏場は暑くて寝苦しくて、ほとんど毎夜グダグダ睡眠が続く私だが、10月頃になって秋風を感じるようになると概ねグッスリ睡眠となる。
ところが、昨年(2017年)12月中頃からなかなか寝付けなくなってしまい、グダグダ睡眠が続いて、1晩に何度も目が覚め、覚めたらなかなか眠れない状況となる。
そんな状況は、たまに5~6時間グッスリ睡眠という日もあったが、年明けて2018年1月になっても続いた。1晩に何度も目が覚め、あれこれ考え事をして、なかなか寝付けなくて、1晩足して4時間前後しか眠れていない日も数日あった。
そんな中、「そうだ、畑に眠り草があったじゃないか」と思い出す。
畑の一角にアキノワスレグサ(カンゾウとも言う)を植えてある。それを食べたのは2~3年前の1度切り、たいして美味いものと感じなかったからで、もっぱら、秋に咲く大きなユリに似た花を楽しむために置いてある。季節を感じる花となっている。
アキノワスレグサは、沖縄語でクヮンソーと言い、薬草として有名。肝臓や胃の薬として使われるようだが、眠り薬としても知られている。
さて、1月20日にクヮンソーを5株ほど収穫して、その夜食べる。その夜は足して4~5時間の睡眠。それまでに比べると少しは増しといった程度。
1月25日にクヮンソーを20株ほど収穫し、その夜10株ほど食べる。その夜も足して4~5時間の睡眠、20日と同じく、少しは増しといった程度。
その後も27日にクヮンソーを食べるが、あまり変化は無い。28日にも晩酌の肴に少し食べる。その夜になってやっとクヮンソーの効果が出たのか、それまでより少し良くなった。それでもしかし、私の満足できるグッスリ睡眠では無い。クヮンソーに眠り薬の効果があるかどうか確定できないまま、29日以降はクヮンソーを食べていない。
しかし、2月1日になって私のグッスリ睡眠がいくらか戻った。その夜は、2度ほど目が覚めたが、足すと6~7時間は眠れて、夢もいくつか見た。翌日もほぼ同様となり、2月4日の夜はほぼグッスリ睡眠となって、久々に濃い夢を見た。
私の眠り薬となったのは、「腰は治るか」、「仕事はあるか」、「食っていけるか」、「人付き合いは上手く出来るか」などといった不安を棚上げして、「あれこれ不安に思うな、コツコツ真面目にやっていれば何とかなるさ」という吹っ切れた気分。そんな気分になったことが、眠り薬としての効果がより大きかったのかもしれない。
クヮンソー、眠り薬として効果があるかどうかは、私の経験からは断定できない。でもまあ、野菜として食せるし、じつは、その花や花の蕾が食用として美味らしい。今年の秋には花や蕾を収穫して食べてみたいと思う。畑をやっていれば・・・となるが。
アキノワスレグサ(秋の忘れ草):薬用・野菜
ユリ科の多年生草本 原産分布は日本、台湾 方言名:クヮンソー
根茎が薬用に、葉柄部と花が料理に用いられる。花はロート状で橙黄色。
記:2018.2.5 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
畑の整理ダンシャリは、5年かけて作ってきたあれこれを解体処分する作業が主になっている。誰の役にも立たないことをやって「俺はバカだぜ」と思いつつもしかし、「しょうがないさ、これが俺さ」と開き直ってもいる。開き直って「何で俺はこんなバカなことしてきたんだろう」と考える。自己満足のためだけの物作りをやっていることが「俺は生きるのに役に立つことをやっているんだ」と思い込んで、のめり込んでいたのだ。
世の中の役に立たない物作りをすることを「自己満足物作り」として、それを現実逃避の手段にしているのなら、私は「自己満足物作り依存症」であると言っていい。
依存症というと、すぐに思い浮ぶのは、酒好きの私なのでアル中(アルコール依存症)ということになるが、私はたぶん、アル中ではない。1回の晩酌で飲む量も酔うほどではないし、月に5~6回は休肝日を設けている。私はまた、たぶんニコチン中毒でもない。休肺日が2~3日続いても平気だし、去年の夏頃までは1日に10本近く吸っていたが、その後は休肺日も増え、最近、去年12月以降は1日3~4本に減った。
タバコが減ったのは、自分のバカに気付いて落ち込んでタバコ吸う元気も失せた、というわけでは無い。落ち込んだ時は却ってタバコの量が増えるはず、タバコを吸って気を紛らわせようとするはず、そうやってニコチン中毒に陥っていくはず。なので、それを避けるためにタバコの量を意識して減らした。アルコールも同じことで、意識していつものペースか、むしろ、ここ1ヶ月余はいつもより酒の量を少し減らしていた。
辛い時に辛いことを忘れる逃げ場がある、ということは人生に必要だと思うが、逃げ場が酒になって、酒無しには辛さから逃れられなくなるとアル中になったり、タバコを吸うことで気を紛らわす癖がつくとニコチン中毒になったりするのであろう。というわけで、私はアル中でもニコチン中毒でも無いですよ、と証明したつもり。
一杯飲み屋で安酒を呷って それで毎日毎日が忘れられるというのなら
僕は有り金の全てをはたいても 有り金の全てをはたいても
これは高田渡の『酒』というタイトルの歌。この後「本当にお前はそれで幸せなのか」との歌詞がくる。若い頃はともかく、オジサンとなってからはその意が良く解る。
己が人生を直視するのが辛いという人がいる。何かに没頭することで現実逃避する、そうしないと生きて行くのが辛いという人がいる。辛い時に辛いことを忘れる逃げ場があれば、そこへのめり込んで行く。そして、何かの依存症になるのだと思われる。
依存症というと、ギャンブル依存症というのもある。沖縄にはそういう人が多いと聞いている。私も若い頃はパチンコ屋通いしていたが、オジサンと呼ばれる歳になってからはやめている。ということで、私が依存していたのは酒でもタバコでも無く、ギャンブルでも無い。そうです、私が依存していたのは「自己満足物作り」だったわけです。
物作りしている時は楽しかったのだ。それはそれは楽しかった。世の役に立たないお気楽な生き方であった。が、役立たずの人間という負い目が私の心のどこかにあったのかもしれない。その負い目から逃れるための「自己満足物作り」だったのかもしれない。
記:2018.2.2 島乃ガジ丸
大きな稲荷
叔父の一人が胃癌を患い、手術したというメールが去年の6月に従妹(その叔父の娘)からあり、叔父を元気付けるため、叔父が懐かしく思い、心癒されるような写真を集め、30枚ほどの写真に1つ1つ説明を付けて従妹に送った。
その写真の1枚に稲荷寿司を入れた。「何故、稲荷寿司?」と問われると、沖縄の稲荷寿司は東京のそれと違う独特なものだから。沖縄を離れ、東京で暮らすようになって50年以上となるE叔父、彼にとって稲荷寿司は想い出深いと思ったから。
E叔父に贈った写真集の、稲荷寿司の説明文は以下。
E叔父さんといえば、すぐに三原のオバー(御婆)を思い出します。一時期、オバーの家に居候していたよね。いつ頃だろう、もう50年ほども前になりますか?
三原のオバーと言えば、オバーが生計としていた惣菜を思い出します。特に、巻き寿司といなり寿司。太巻きは東京にもありますが、いなりは東京のものとは違い、質量としてはその2倍ほどもある三角形の沖縄風いなりです。最近、沖縄風いなりもなかなか見かけなくなったのですが、あるスーパーに置いてありました。
説明文は以上。そう、沖縄の稲荷寿司は大きくて三角形をしている。私も東京で5年ほど暮らしたことがあるが、東京では沖縄風の稲荷寿司を見たことがなかった。ネットで確認してみると、東日本は概ね俵型、西日本は沖縄と同じ三角形とのこと。
味にも少し違いがあって、沖縄の稲荷寿司に使われる油揚げは揚げたままのもので、他府県のように味付けはされていない。中身も概ね酢飯だけである。
私はスシを寿司と書くことがほとんどだが、寿司は当て字で正確には鮨と書くようだ。広辞苑を引くと、漢字表記は「鮨・鮓」となっており、その第二義に、「(「寿司」と書くのは当て字)酢と調味料とを適宜にまぜ合わせた飯に、魚介類・野菜などを取り合わせたもの」とあった。ついでに、稲荷鮨は「甘煮の油揚げの中に、すし飯をつめた料理。すし飯に牛蒡・人参などを刻んで煮たものや炒った麻の実をまぜたものもある」のこと。
何故、稲荷(いなり)と呼ぶのかと言うと、稲荷は、その第三義に「(狐の好物であるということから)「油揚げ」の異称」とあった。
E叔父はその後、再手術したとかいろいろあったけれど、今は元気で食欲もあるらしいと、その娘(私にとっては従妹)からこの正月にメールがあった。
記:2018.1.29 ガジ丸 →沖縄の飲食目次