唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
震災ボランティアで単位?
今日の神奈川新聞に「学生の震災ボランティア、単位認定広がらず、文科省把握はわずか6校」との記事が掲載されていた。記事本文にも「文科省がこの度の大震災でのボランティア活動を単位として認めることが可能であるとの通知を大学に出しているが、単位認定の動きが広がらない」との記載もあるから、神奈川新聞は文科省同様、震災ボランティアを単位として認めるのが良いと考えているようだが、文科省も神奈川新聞も、それは違うだろうと、郷秋は声を大にして云いたい。
だいたいがだ、ボランティアとはいったい何なのだ。郷秋思うに、利益を目的とせず人のために尽くすこと・尽くす人、少し言い換えれば、無償の奉仕活動をすること・する人、だろう。結果としてではあったとしても報酬を受け取れば、その瞬間にそれはボランティアではなく単なる作業になる。大学生にとっての「単位」は実は金銭に換算できる報酬なのである。だってそうだろう。
ごく大雑把に云うと大学は4年の間に124単位を修得すれば卒業できることになっている(はずだ)。4年間の授業料合計を400万円と仮定すると1単位当たり32,000円。件の記事によると4つの大学がボランティア活動を2単位として認定することになっている。5日間のボランティアで2単位になる(岩手大学)と云う事は、5日間で64,000円、1日12,000円のアルバイトと同じではないか。裏を返せば、単位欲しさにボランティア、いや、アルバイトをする学生だって出かねないのである。
若い時にボランティアを経験する意義を否定するつもりは毛頭ないが、ボイランティアで単位がもらえるのだとしたら、報酬を受け取るのと同じだからそんなものは本当の意味でのボランティアではない。そんなことを文科省が「まじめに」奨励し、そんな勧めにまんまと乗のった大学がある訳だからまったく情けない。大学は、そのことが自らの品格を大いに低める結果になっていることに気付いていないのだろうか。あるいは「ここは文科省の云う通りにしておいて」と今後の許認可に手心を加えてもらおうと云う下心でもあるのか。
震災ボランティアを単位認定している大学は岩手大の他に、山形大、滋賀大、明治大、文教大、大分大。多くは「~実習・体験」などの科目で認定していることがせめてもの救いか。しかしだ、現地でホントに(例えば5日間)活動したのかどうか、どうやって確認するんだろう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、月見草と同類の赤花夕化粧。月見草は夜咲くがこれは昼間に咲く。夕化粧と云う名には反する開花だが、その名前は何とも奥ゆかしく好ましい。