フェラーリの矛盾した言い訳

 Yahoo!のスポーツニュースの中で、フェラーリのチーム代表であるステファノ・ドメニカリがDie Welt』に次のように語ったと報じられていた。

 

「レッドブルが素晴らしいクルマを造ってきたことも事実だ。あまりにも優れたクルマなので、勝利するとドライバー以上にクルマが勝者としてたたえられる。われわれが圧倒的な強さを見せていたころ、常にミハエル・シューマッハ(現メルセデスGP)が前面に出て、そしてフェラーリだった。今は、まずレッドブルがあり、そしてセバスチャン・ベッテルになっている」

 

 フェラーリは、前段ではレッドブルのRB7150°Italiaよりも優れたマシンであることを認め、なおかつ、優れたマシンに乗れば(少なくともF1ドライバーと呼ばれる人ならば)誰でも速く走ることが出来ると主張している。

 

 中段ではミヒャエル・シューマッハを擁し常勝チームであった当時、我々は陰でその走りを支えていたと主張し、そして後段ではレッドブルが優れたマシンを用意し、それに乗るセバスチャン・ベッテルと好成績を収めているのだと主張している。

 

 この主張に今のフェラーリを当てはめれば、フェルナンド・アロンソはドライバーとしては超一流であるが、マシンが「ヘボ」なので、さすがに速く走ることが出来ない。ルノーチームはアロンソの素晴らしい才能を陰で支え二度のワールドチャンピョン獲得の黒子となったが、今のフェラーリには荷が重い。いかにアロンソと云えども今の150°Italiaではチャンピョンシップ5位が精いっぱいである(それでももう一人のフェラーリドライバー、フェリペ・マッサの倍以上の69ポイントを稼ぎ出している)、と云う事になるかな。

 

 しかしフェラーリ、云っていることに随分矛盾があることに自分で気が付いているか。ドライバーに不足はない。でもマシンが「ダメ」なんだと、もっと判り易く、正直に、ストレートに云えばいいのに。どうしてこういう回りくどい、判りにくい、素直じゃない云い方をするんだろうな。「ドライバーに問題はないのに、俺たちが速いマシンを作ることが出来なだけなんだ。頑張るよ」と、どうしてもっと簡単に、判り易く、素直に云えないのだろうか。もっとも、これこそが「F1は魑魅魍魎の世界」と云われる所以なんだろうな。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、先週末に恩田の森で撮ったものではなく、今日の昼時、ちょっと時間があったので例の東京都下某所をぶらついて撮った、ハナショウブの原種、ノハナショウブ。何と云う事もない一枚だが、そこそこ「見られる」とすれば、それは使ったレンズ(AF-S Nikkor 28-70mm F2.8D)の描写性能、取り分け美しい「ボケ」のお陰。「弘法筆を選ばず」と云う言葉があるが、郷秋は「弘法に非ずんば筆を選ぶべし」と云いたい。

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