まだペルー大統領選の決選投票の決着がついていないようで、気が気でない。開票も残り少なくなり、元首相のクチンスキー候補が僅差でケイコ・フジモリ候補をリードしているようだが、予断を許さない。リョサもスペインの地で息を詰めて見守っていると思う。
さて、寺尾隆吉が編集・翻訳した『疎外と叛逆~ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』に、ある会合でリョサがガルシア=マルケスの顔面を殴ったというエピソードが紹介されている。そうした行為に及んだ理由をリョサは明らかにしていないが、その以前から政治的な見解の相違が表面化していたことを寺尾は指摘している。
そのきっかけとなったのは1971年3月にキューバで起きた「パディージャ事件」であったという。寺尾隆吉は次のように書いている。
「革命政府を挑発するとも取れる創作を続けてきた詩人エベルト・パディージャを拘束し、茶番とも言えるような自己批判を公開の場で強制したキューバ政府に対して、バルガス・ジョサやフエンテスが反対声明に与する一方、ガルシア・マルケスやコルタサルはカストロ体制支持へと傾いていくことになる。」
この事件を直接のきっかけとしたのかどうかは判断できないが、キューバ革命を礼讃していた若き日のリョサはもうそこにはいない。革命を標榜するカストロ体制も、この頃には偏狭な独裁政権に堕していたわけである。
かつてソ連のスターリン体制に対する評価がヨーロッパの知識人の試金石であったように、この事件を通してのカストロ体制に対する評価が、ラテン・アメリカの知識人の試金石になったのである。
言うまでもなく私は、リョサやフエンテスを支持するし、ガルシア=マルケスやコルタサルの態度は、教条主義的な左翼思想に対する幻想の産物でしかないと思う。ガルシア=マルケスは『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』を書いて、チリの独裁者ピノチェト将軍を批判したが、ならば作家の自由な表現を許さないカストロ政権をも同様に批判しなければならないはずである。
それに対してリョサの態度は一貫している。リョサは左翼政権であろうが、反動政権であろうが、独裁政治というものに対して一貫して抵抗してきた。それは彼の小説にもよく表現されているし、独裁的権力を振るったアルベルト・フジモリに対する批判にも、今回のケイコ・フジモリが大統領に就任することへの強い懸念にも現れている。
しかし、ラテン・アメリカ世界は各国で強圧的な独裁政治を経験し、それに対する抵抗の姿勢として左翼思想が根強く生き続けている。ペルーもそうであったし、キューバは半世紀以上にわたってカストロ政権が続いている国である。
だから現在のリョサの反左翼的な考え方が、ラテン・アメリカの左翼的知識人から見たら、反動思想そのものに見えてしまうということはあり得るだろう。あのウルグアイ人のミュージシャンが「リョサは逆卍だ」と言ったのも、そのような意味を持っていたのだと、今の私は思う。
それはかつての日本において、しかも戦前・戦後の二度にわたって、文学というものが日本共産党に支配されていた時代に、日本共産党を批判する文学者がことごとく「革命に抵抗する反革命」の名の下に断罪された事情によく似ている。
そのような事情が今でもラテン・アメリカ世界では生きているのだろう。しかしそのような構図は、北朝鮮や中国のような国が自分にとって都合の悪い知識人を「反革命分子」として処断するのと何の違いもない。
そのような政治的ご都合主義は永遠に棄却されるべきであるが、政治の世界は中国や北朝鮮に限らず、そうした欺瞞に溢れている。
では、なぜリョサはそのような政治の世界に足を踏み入れたのであったか?
『疎外と叛逆~ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』(2014、水声社)寺尾隆吉訳