玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長期入院と幻覚(11)

2016年10月21日 | 日記

「渋澤龍彦と術後の幻覚」
ちょっと私自身の幻覚や夢とは離れるが、書いておきたいことがある。現在私は国書刊行会の「新編日本幻想文学集成」を定期購読していて、第2巻を読み始めたところである。


 渋澤龍彦はじめ4人の巻で、渋澤が巻頭。最初の作品が「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」というのである。そこに私の場合とまったく同じようなことが書かれているのを発見したのである。幻覚の質も似ているが、なぜ闘病記を書かないで、幻覚のことなどを書くのかについても、私と同じことを言っている。以下のように。

「昨年(昭和六十一年)の九月八日から十二月二十四日まで、ほぼ三ヶ月半にわたって私は東京都内の某大学病院に入院して、思ってもみなかった下咽頭腫瘍のための大手術を受けたものであるが、いま、自分の病気について書く気はまったくない。そもそも私は闘病記とか病床日記とかいった種類の文章が大きらいなのである。そんなものを核くらいなら死んだ方がましだとさえ思っている。」

 こう書いた後、渋澤は手術後に見た幻覚について書いていくのである。彼もまた天井に見た幻覚から書き始めている。

「天井いちめんに地図がびっしり描き込んであるように見える。よく見ると東京都の地図らしく、何々区というような文字が記入してあるのまで見える。」

病人はベッドに仰向けに寝ているから、天井の幻覚をまず最初に見るのである。渋澤の見た天井にもパネル上に何か模様があったはずである。模様に触発される形で幻覚は生じるのだし、その模様に何を読み取ろうとするかによって、幻覚の内容が変わってくるだろう。
 そして渋澤は彼の病室の回転に恐怖するだろう。私の場合は私が見ている対象の部屋が90度回転したのであるが、渋澤の場合には自分の病室が回転し、彼は垂直に宙吊りになるのである。

「むしろ私を恐怖させたのは、二日目にあらわれた次のごとき新たな種類の幻覚である。それは幾何学的幻覚とでもういったらいいだろうか、それともトポロジカルな幻覚というべきか、四角い私の個室が九十度だけ傾斜するのである。つまり、それまで水平な床であった面が、いつのまにか垂直な壁の面に変わっているのだ。ふっと気がつくと、私のベッドは垂直な壁面に宙吊りになっている。」

 同じ手術の後とはいえ、これほどに似通った夢や幻覚を見るものだろうか。薬物の影響で似たような現象が起きるのだとは思わない。私は彼と私の間に体質的な類似点があるのだと考えている。私は彼の批評眼や審美眼を必ずしも高く評価しないが、彼が次のように書くとき、私との共通点を感じないではいられないのである。

「私は怪異譚や幻想譚を大いに好む人間だが、それでいて、あきらかにタイプとしては幻覚を見にくい部類の人間に属していると自分では信じていた。生まれてから一度として、幽霊もおばけも見たことがないのである。たとえばメリメのように、鴎外のように、私は怪異譚や幻想譚を冷静な目で眺めることを好んでいたし、げんに好んでいるわけで、ネルヴァルのような譫妄性の幻覚には自分はまったく縁がないと思っていた。」

 私もまた、渋澤と同じように今回まで自分をそのような存在だと信じていた。ただし、今回のことでそうした認識が変わったわけでは必ずしもない。幻覚や夢を冷静な目で、客観的に書いてみることに興味を覚えるのは私にも渋澤にも共通したことではないか。