玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(1)

2022年03月03日 | 読書ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(1)

 文学と美術のライブラリー「游文舎」が、3月21日から27日に予定している「大古書市」のための図書整理をしていた時、1960年から1970年代に刊行された河出書房新社の「モダン・クラシックス」のシリーズがかなりあることに気が付いた。
 そのラインアップを見ると当時全盛を極めていたフランスのヌーボー・ロマンの作家の作品を中心に、イギリス、アメリカ、ロシア(ソ連)、ドイツ語圏などのかなり珍しい作品を集めた意欲的な企画であったことが分かる。その後かなりの作品が文庫になったり、他の出版社から再刊されたりしているが、中にはこのシリーズでしか読めない貴重な作品もある。
 私はイギリスの作家ロレンス・ダレルの「アレクサンドリア・カルテット」四部作『ジュスティーヌ』『バルタザール』『マウントオリーブ』『クレア』を所持しているが、あの退屈でやたらと長い小説を読み通したのであった。数十年前のことなので、苦労して読んだ割にはほとんど記憶に残っていない。
 中にアルフレート・クビーンの『裏面――ある幻想的な物語』があったので、読んでみることにした。幻想小説を好んで読む私だが、この作品はなぜか未読であった。読み終わった時、なぜもっと早く読んでおかなかったのかと、猛省を強いられることになる。
 小説は「私」というクビーン自身に近いと思われる画家兼イラストレーターが、昔の同級生クラウス・パテラに、彼が莫大な私財を投じて造った夢の国(パルレ=真珠の意)に招待される場面から始まる。この出だしからこの小説がある種のユートピア小説であることが予想される。しかし多分そのユートピアはすぐにディストピアに変貌していくだろう、というのが先入観なしに読み始めた時の印象である。
 妻と一緒にパテラに招待された「私」は、住んでいるミュンヘンを離れ、ブタペスト―ベルグラード―ブカレスト―コンスタンツァ―バツーミ―クラスノヴォドスク―メルク―ポカラ―サマルカンドへと旅を続ける。現在の国名で言えば、ハンガリー―セルビア―ルーマニアー―ジョージア(グルジア)―ロシア―トルクメニスタン―ネパール―ウズベキスタンへと鉄道を利用して進んでいくことになる。
 サマルカンドからはラクダの車で、ペルレの門に向かう。門をくぐる時、妻が「もう二度とここからは出られないのね」と呟く場面が印象に残る。門からは列車で3時間を費やしてペルレの市街地に到着する。
 ペルレの位置はかなり重要な意味を持っているだろう。中央ヨーロッパから東ヨーロッパを経てひたすら東へ、「私」と妻はヨーロッパの文明圏を離れて、中央アジアに至るのである。ここにクラウス・パテラが建設した夢の国が位置しているというわけだ。
 この地勢的条件もまた、ユートピア小説の定石に従っていると言えるだろう。ユートピアは我々の住んでいる国からできるだけ遠いところになければならないし、日常的な常識が通用しないところでなければならない。そうでなければユートピアとは言えないからである。
 しかし、到着早々二人は自分たちが住むことになる家に案内されて、大いに幻滅を味わうことになる。

「これが夢の国の都、ペルレの町っていうわけか?」 ? ? 私は憤懣をうまくかくしておくことができなかった。「こんなものなら、ぼくたちのところのどんな薄汚い町でだって見られるじゃないか!」と、私は不快と幻滅のあまり、そう言って、一軒の退屈な建物を指さした。

 夢の国には西ヨーロッパでは見慣れない文化に触れることができると思っていたのに、彼らが見たものは自分たちが今まで住んでいたのと同じような建物であり、内部を飾る絵画作品であったのである。実は夢の国は西ヨーロッパから大量の古い建築物や装飾品を買い付けて、パテラが造り上げたものだったのである。こうしてユートピアは矛盾をかいま見せて、ディストピアに変貌していく予感を漂わせていくのである。

・アルフレート・クビーン『裏面――ある幻想的物語』(1971、河出書房新社「モダン・クラシックス」)吉村博次・土肥美夫訳

 

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