玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アルフレート・クビーン『裏面』(4)

2022年03月06日 | 読書ノート

「第4章 魔力のとりこ」から、「ある幻想的な物語り」とのサブタイトルを持つ、この作品特有の怪異な現象が始まっていく。最初の怪異は妻が街中でパテラと遭遇する場面になっている。妻はパテラの恐ろしい目に恐怖を感じ、不安状態から抜け出せなくなり、心身の不調に責めさいなまれることになる。結局これが要因となって妻は死に至るのであり、この場面は重要である。ここからこの物語の登場人物たちは何ものかの「魔力のとりこ」になっていくのだからである。
 絶望のあまり彷徨する「私」は、知らず知らずにパテラがいるであろう宮殿の前に佇んでいる。そこに入っていき、無数の部屋を通り抜けて、行き止まりの大きな部屋に達した「私」は、そこに眠ったまま笑い、しゃべり続けるパテラの姿を発見する。ここでパテラと「私」の妻の救いをめぐるやりとりがあるのだが、そこには後ほど触れることにする。まずはクビーンの幻想の描き方を見てほしい。
 パテラはいきなり立ちあがって「私」の前で、次々とその顔を変貌させていく。

「それから私は、ある名状しがたい光景を目撃することになった。――眼がふたたびとじられると、思わずぞっとするような、恐ろしい生命がこの顔にのりうつってきた。顔の表情がカメレオンのように――たえまなく――千通りにも、いや十万通りにも変化していった。電光石火のはやさで、この顔貌はつぎつぎと、若者に――女に――子供に――老人に、似たものになった。それはふとったりやせたりし、七面鳥のような贅肉がついたかと思うと、ちぢみあがってほんのちっぽけなものになったし、――次の瞬間には元気にはちきれんばかりに、ふくれ、のびひろがって、嘲笑や、善意や、嗜虐や、憎悪の表情をうかべ――、皺だらけになったかと見ると、ふたたび石のようになめらかになった――それはまるで解き明かしがたい天然の不可思議のようで――、私は眼をそらすことができなかった。ある魔法の力がまるでねじでしめつけるように私をつかまえ、恐怖が私の全身をひたした。」

 私はこのような恐るべき幻想描写を、E・T・A・ホフマンの作品以外で読んだことがない。世の中に幻想小説は数限りなくあるが、想像力を全開にして〝これでもか〟という具合に、怪異の極みともいうべき場面を連続させていく、ホフマンの描写に比肩できる作家などいるはずがないと思っていたのだ。このことが『裏面』を読んでの私の第二の驚きなのだった。
 では、ホフマンの『悪魔の霊酒』における幻想的場面の頂点を読んでみよう。これも長い引用になるが、是非味わってもらわねばならない。

「わたしが祈りをあげようとしたそのとき、感覚を惑わせるような囁きやざわめきが聞こえた。むかし出会ったことのある人間たちが、醜く歪んで気違いじみた顰め面を見せながら、立ち現われた。――どれもこれも、頭だけの姿で、その耳のすぐわきから生え出た蟋蟀の脚であたりを這いずりまわり、わたしのほうをむいては陰険な目つきで笑うのであった。奇妙な形の鳥たち――人間の顔をもつ鴉たちが空中で騒いでいた。――B市の楽士長とその妹の姿も現われ、この妹のほうは荒っぽいワルツのリズムでくるくる旋回していて、兄がその伴奏を担当していたが、胸がヴァィオリンになってしまっていて、それを弾いているのであった。――ベルカンポが、醜い蜥蝎の顔で現われ、吐き気をもよおしそうな羽の生えた毛虫の翼に乗って、こちらにつっかかるように飛んできたが、わたしの髯を剃るつもりらしく、手に白熱した鉄の櫛をかざしていた――が、そうはうまく剃れるはずもなかった。
 騒ぎはますます気違いじみていき、さまざまな姿の化け物たちは、いっそう奇っ怪で奇抜な形に化け、人間の脚をして踊りまくる小さな小さな蟻から、ぎらぎら光る目をもつ長い長い胴体の馬の骸骨まで、それはさまざま。この馬の骸骨の皮はそれがそのまま鞍敷そのものになっていて、光を放つ梟の頭をした騎士が乗って跨っている。」