私はマルケスの『百年の孤独』における、超自然的なエピソードの連続は、ラテンアメリカ文学についていわれるマジック・リアリズムの中核的な表現であり、それがマルケスの独創的表現方法であることに何の疑いも持ってはいなかった。それが彼の母親による〝語り〟の方法を取り入れたマルケスの創造によるものであることにも疑いは持っていなかった。
しかし、『百年の孤独』が書かれた60年も前に、同じような方法で書かれた一人のオーストリア人画家による小説があったのであり、そのことに驚きを感じないでいることはできない。マルケスの『百年の孤独』の方法は、ヨーロッパの文学伝統とはまったく隔絶したものであるとされているが、そんな説がまったくの?であることが、クビーンの『裏面』によって証明されるのである。
さて、クビーンの「眠り病」のエピソードの後には、動物たちの異常な増殖のエピソードが、そして次には植物の衰退のそれが、そして真の崩壊をイメージさせる建築物の瓦解のエピソードが続く。
「何よりも無気味なのは、動物の蔓延とともにはじまったある謎めいた事態の推移であって、それは、絶えまなく、ますます急速に進み、夢の国の完全な没落の原因になった。――瓦解――それがすべてをとらえた。種々様々の素材でできた建物、多年にわたり集められた物件、この国の支配者がお金をつぎこんだすべてのものが、絶滅の運命に捧げられた。同時に、どこの壁にも亀裂が現われ、木材は腐り、鉄はさびつき、ガラスはくもり、その他さまざまな素材がくずれおちた。髙価な芸術品が、十分な理由もわからずに、なすすべもなく内部からこわれていった。」
建築物ばかりではなく、食べ物もまた大気中の未知の物質によって腐敗を始め、繊維製品も崩壊し、裸に近い姿となった住民たちの間では放埒な性衝動が開放されていく。そのようにしてペルレは没落へとまっしぐらに進んでいき、最後は殺人・凌辱・暴動といったまさに戦争の状態に至るのである。
クビーン自身の挿絵(没落)
この畳みかけるようなエピソードの連鎖は、完全に『百年の孤独』の方法と一致している。『裏面』においては一つひとつのエピソードが矛盾しているように見えることもあるし、発生した異変がどのように終息したのか書いてない場合もあり、必ずしも整合性が取れているとは言いがたい面はある。
しかしそれは、マルケスの場合でも同じことである。不眠症のエピソードに続くのは健忘症のエピソードであるが、ものの名前を忘れないように町の中のあらゆるものに名前を書き記していく、あの忘れがたいエピソードがどのようにして終焉するのかといえば、町にやってきた一人の老人がもたらす薬によってなのである。
ご都合主義的とも言えるこうしたエピソードの終息やエピソード間の不整合は、『百年の孤独』でも顕著なのであって、それが小説については素人であった、一人の画家が描いた『裏面』という作品の欠陥であったのではない。エピソードの積み重ねは〝語り〟に特有の方法であり、不整合などものともせずに、語りは次から次へとエピソードを繰り出していくのである。
エピソードの畳み重ねがそれぞれの不整合を覆い隠していく、というよりも、整合性の価値自体を?脱していくのである。語られる者にとってエピソードの整合性などどうでもいいというのが、語りというものの本質であるからだ。子どもの頃、母親や祖母などに即興の物語を聞かされた者にとって、それは自明のことである。