玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヴィリエ・ド・リラダン『アクセル』(1)

2018年02月27日 | ゴシック論

 今月7日の朝起きると、左耳に違和感をおぼえる事態に陥っていることに気づいた。医院に駆けつけると「突発性難聴」との診断を受け、薬による治療で一週間様子を見ることになった。しかし一週間薬を飲み続けても、少しも症状は改善しない。
 ついに長岡市の赤十字病院に16日から22日まで一週間の入院ということになり、そこで毎日点滴治療を受けることになってしまった。病院で読むことにしたのがヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』であった。
 私は若いときにリラダンの短編作品に傾倒していたことがあり、1975年に東京創元社が「ヴィリエ・ド・リラダン全集」全5巻を出したときに、迷うことなく購入したのであった。その後普及版も出ることになったが、最初の版は1,500部限定出版で、一巻7,500円もしたのだ。
 ところが、その全集をほとんど読むこともなく時間は過ぎていった(『トリビュラ・ボノメ』だけは読んだ)。私は大学でフランス文学を学んだし、リラダンを読むようになったのはそのためであったが、当時私はフランス文学への興味を急速に失っていたために、宝物の全集を闇に放置することになってしまったのだ。
 その後「リラダン全集」は行方不明になってしまった。誰かに貸したか、くれてやったのだろうか。そういえば甥が『未来のイヴ』を好んでいたから、甥にやってしまったのだったろうか。よく思い出せずにいたのだが、先日その「リラダン全集」が帰ってきたのだ。実は甥の母親、つまりは私の妹に貸してあったのが10年もして戻ってきたのだった。
 ちょうどまたリラダンが読みたくなり、かつて筑摩選書から出ていた『残酷物語』を古書で買い直して読んでいるところで、私は難聴の慰みに全集の方の『未来のイヴ』を病院にもっていくことにしたのだった。
『未来のイヴ』はSF小説である。アメリカの発明王トーマス・アルバ・エジソンを主人公にし、彼が貧窮のどん底にあるときに救ってくれたエワルド卿の恋愛の苦悩を解消するために、人造人間を作る話である。
 メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の延長上にある作品といえるが、『未来のイヴ』における人造人間は、完全に科学的知見に基づいている。エジソンが主人公なのだから、そこは当然のこと。
 しかし、エジソンは発明の喜びだけにふけっているわけではない。『未来のイヴ』におけるエジソンは人間の恋愛というような幻想を真っ向から否定し、人造人間の優越性について長広舌をふるう。彼はある意味で哲学的な思想の持ち主として描かれている。
 エジソンの議論は今日の分子生物学の考え方、つまり人間はDNAに司られた機械に過ぎないという議論に近いものがあり、それなりに説得力がある。しかし、誕生した未来のイヴには、エジソンが頼りとしたアンダーソン夫人の心霊的な魂が混入していたのである。それによって未来のイヴは単なる機械ではあり得ないことになる。
 ヴィリエ・ド・リラダンが『未来のイヴ』で何を言おうとしていたのかについて不分明なところがある。人類の進化や科学の勝利などということを軽蔑していたリラダンが、エジソンの考え方を肯定していたはずがない。
 にもかかわらず、エジソンの考え方に次第に巻き込まれていくエワルド卿の姿を見ていると、我々もまたそれに屈服していく傾向があることを自認せざるを得ない。それが『未来のイヴ』に対する疑念を生む。
『残酷物語』でもリラダンは度を超えた科学的探求をテーマとした作品を残しているが、その思想的位置づけが不分明であることは『未来のイヴ』と同様であって、我々はそうした作品をヴィリエ・ド・リラダンの最高の作品と見なすわけにはいかないのである。
 リラダンの最高傑作は言うまでもなく戯曲『アクセル』であって、『未来のイヴ』で消化不良を起こした私は、引き続いて『アクセル』を読まずにすますことができなかったのである。
 ところで、私は22日に退院したが、左耳の症状は多少改善されたものの完治というにはほど遠く、私は頭に覆いをかぶせたような状態に死ぬまで耐えなければならないのかも知れぬ。でもそれが私の読書に大きな機会を与えてくれるのであれば、それもよしとしよう。
 ということで、続けて『アクセル』を私は読むのであった。

ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』(1975、東京創元社「ヴィリエ・ド・リラダン全集」第2巻)齋藤磯雄訳
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿