『夜のみだらな鳥』には登場人物の互換性というか、取り替え可能性のようなものが見られる。イネス夫人の懐妊の場面でも、ヘロニモになりきった《ムディート》がイネス夫人と交わるのであり、だから《ボーイ》の父親はヘロニモであると同時に《ムディート》でもある。
あるいは語り手である《ムディート》がそのような妄想を抱くだけなのだとしても、妄想が現実を支配しているのが『夜のみだらな鳥』の世界なのだとしたら、そんなことを言っても意味がない。この小説の中で起きることを現実にはあり得ないことだ、などと言うことはこの小説の世界をまったく理解していないということでしかあり得ない。
赤ん坊をめぐる取り替え可能性は、イネス夫人だけでなく、修道院で暮らす孤児イリス・マテルーナをめぐっても起きる。イリスは奔放な少女で、《ムディート》の導きで毎夜修道院を抜け出して、《ヒガンテ》(巨人)の仮面をかぶったロムアルドという青年と逢い引きを繰り返している。
イリスにとっては《ヒガンテ》の仮面をかぶった男だけが愛の対象なのであって、だから《ムディート》は仮面をロムアルドから1500ペソで借りて、イリスと行為に及ぶのである。だからイリスの妊娠を知った《ムディート》は次のように確信する。
「おれがイリスの子の父親だ。
あれは奇跡でもなんでもない。ドン・ヘロニモがその絶大な権力にもかかわらず持ちえなかったもの、女をはらませるという、この単純で動物的な能力が、おれにはあるのだ。」
イリスの妊娠は老婆たちによって奇跡と呼ばれ、それは処女懐胎と見なされ、そこから聖母ごっこが始まるのだが、それはまた別の物語である。
ヘロニモもまた《ヒガンテ》の仮面を借りてイリスと交わろうとするのだが、その時は不能に陥ってみじめな姿を晒す。しかしそんなことはどうでもいい。《ムディート》とヘロニモの間には互換性があるのだから。《ムディート》は次のような策を考えている。
「イリス・マテルーナのお腹にいるおれの子どもがドン・ヘロニモの子ども――イネスの子宮に期待し求めながら拒まれた、最後のアスコイティア家の嫡男――だと、彼に納得させることは容易であるにちがいない。ドン・ヘロニモはその子どもを認知するだろう。苗字と地所を譲るだろう。子どもはこの修道院の所有者となり、そこを取りこわすのを中止させるにちがいない。この壁のくずれた侘しい迷宮はそっくり残され、おれは、永久にそこに留まることができるはずだ。」
イリス。マテルーナが孕んだ子の父親もまた、ヘロニモであると同時に《ムディート》でもある。ではなぜその子まで畸形であることが予測されるのか。老婆の一人マリア・ベニテスはこんなことを言う。
「はらんだ女が男と寝ると、かたわの子が生まれる。それは、やたらに頭が大きくて、ペンギンの羽根みたいに腕が短い、口はガマみたいで、体には濃い毛が生えていたり、うろこがあったりする。眼瞼のない駒で生まれることがある。」
この妄想が畸形の《ボーイ》を予兆する。イリス・マテルーナは畸形の子を産む条件を満たしているのだ。《ムディート》は断言する。
「ああ、ドン・ヘロニモよ。生まれてくるあんたの子どもは、アスコイティア家の一員たるにふさわしい、すさまじい畸形なのだ。」
なぜ畸形がアスコイティア家の嫡男に相応しいのだろうか。その理由はアスコイティア一族の最初の物語へと遡行することで理解することができるだろう。その物語は『夜のみだらな鳥』全編が回帰していく場所でもあり、そのことがこの作品のゴシック的構造を示しているからだ。
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