玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

まだ生きられる!

2017年04月12日 | 日記

 腸閉塞の大手術をしてから10か月が経とうとしている。昨年6月末から10月初めまで3か月の入院生活を強いられ、その後も小腸ストーマをつけていたために、自宅療養の苛酷な3か月を過ごした。半年棒に振ったのである。
 退院後、私が腸閉塞の手術で入院していたと話すと、いろんな人に〝脅し〟とも思われる言葉をかけられた。いわく「知人で腸閉塞の後、癌を併発した人がいる」「腸閉塞は癖になるから悲惨だ」「腸を何回も切って、切るところがなくなって死ぬ」「手術に耐えられなくて死んだ人を何人も知っている」等々……。
 決して〝脅し〟のつもりで言っているわけではなく、「大変だね」というつもりで病気を気遣って言ってくれているのだということは承知している。しかし、思いやりのつもりが、相手によっては〝脅し〟になってしまうこともある。
 こういう話をされると、先の不安に駆られて恐怖に陥ってしまう人も多いだろうが、私はそのような話をわりと平気で聞き流していた。10年前に腹膜炎で死に損なっているし、今回も腹膜炎を併発して、一週間の間に3回の手術を施され、死の淵まで行っていたことを自覚していたからだ。
「死ぬときは死ぬ」という覚悟は出来ているから、そんな話をされても怯えることはなかったのである。多分私は腸閉塞を再発させて、何度か手術を繰り返した末に死ぬことになるだろうと諦めていた。それまでどのくらい猶予があるのかは分からないが、それは既定の事実であると思い込んでいたのだ。
 それには理由があって、担当医が私の妻に対して「またこういうことがあるかも知れませんね」と呟いていたと、妻から聞いていたからである。客観的な現実は、私がそんなに長生き出来ないという事実を示しているように思われた。
 12月に小腸ストーマをはずす手術を行ってから、私の恢復にはめざましいものがあった。一時は49キロまで落ちていた体重も(手術前は62キロあった)、どんどん元に戻って、3月には59キロまで回復し、ほぼ手術前の生気を取り戻すことが出来た。
 そして3月中旬には奈良へ旅して、3日間の間に約20キロも歩いて平気だったので(万歩計をつけた叔父が同行していたので、これは正確な数字である)、健康に対する自信も取り戻すことが出来たのである。
 そうなると欲が出るし、楽観的な期待が大きくなっていく。私にはまだやり残したことがあるし、棒に振った半年を何倍にもして取り戻せるかも知れないと思うようになった。
 しかし、一週間ほど前から便通が思わしくなくなり、何度もトイレに行って少しずつ排便をするという状態になってきた。私は、これはもう腸閉塞の再発に違いないと思い、すぐに病院に行って担当医の診察を受けることにした。
 こういう時ためらったり、我慢したりしてはいけない。我慢しすぎて手遅れになることがある。誰だって手術は恐い。あるいは、場合によっては癌の宣告を受けるかも知れないが、それも恐い。
 しかし、私は既に5回も手術を経験しているし、それがそんなに怖ろしいものではないことを知っている。全身麻酔をかけられるときに、麻酔医に「20数えてください。そうしたら何も分からなくなります」と言われて、私は12まで数え、その後はまったく覚えていないのだ。
 気がつけば、手術の痕の痛みを感じながら、ベッドに寝ている自分を発見するだけだ。手術後に目覚めることがなければ、それは即死を意味するが、そうやって死ねたらどんなに幸せだろう。本人も楽だし、身内の人間にとっても看護の負担がなくていいではないか。
 ということで私は昨日、最初の時のように即入院、即手術という宣告をされることを覚悟で診察を受けに行ったのである。「レントゲンを撮って」と言われてレントゲン室に行っても、そんなに不安は感じなかった。再発なら再発でしょうがない、死ぬときは死ぬのだという覚悟がもう一度戻ってきたのであった。
 担当医はレントゲンを見て、「閉塞はありません。大丈夫です」と言ってくれた。正直嬉しかった。ただし、もう一つ不安があった。私は担当医に「再発しやすい病気のようですが、徴候をどう見極めればいいのですか」と訊ねた。すると担当医は「腸が短くなっているから再発のおそれはほとんどありません」と言うのだった。
 ということで私は今、一人で祝杯を挙げているのである。まだ生きられる! 先生、もっと早く言ってくれればいいのに。


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