クリ拾いの達人の高橋さん親子から、山のような茹で栗をいただいた。栽培の栗ではなく、山栗で、ツブは小さいが味は大きなクリの比ではない。とにかく甘くて、味が凝縮している。食べ出すと切りがない。宴席で茹でガニが出ると誰もが寡黙になるが、あれと同じ現象が起きる。
一昨年も高橋さんから山栗の生のやつをいただいて、おいしく食べたが、今年はその量が半端でない。今年はクリの“生り年”だそうで、そういえば夏の頃から、里山の栗の木が鈴なりの実をつけていたのを思い出す。
昨年は猛暑で、クリの木が大量に枯れ、ろくに実をつけなかったから、今年はそれを挽回しようということなのだろうか。“生り年”の仕組みはまだ分かっていないらしいが、「多くの個体が同調して種子を作ると、種子を食べる動物が食べきれない量になり、食べ残した種子が発芽する確率が高くなる」という説があるという。
それでは生態系のバランスが崩れてしまうから、生り年の次の年にはたくさんの実をつけずに、種子を食べる動物の個体数の増加が抑制されるということらしい。それなら毎年一定量の実をつければよさそうなものだが、周期的に“生り年”と“不生り年”を繰り返す植物があってもおかしくはない。
柏崎・夢の森公園の「月刊ニュース」にも、「夢の森の木々たちは今年生り年を迎えるものが多い」と書いてある。コナラ、ヤマボウシ、クリ、ガマズミなどが生り年を迎えているという。今年は山に大量の木の実が残されて、動物達の食欲を満たすことだろう。
ところで、茹で栗を食べているうちに、大きくて美味そうなクリが意外と美味しくなく、小さなツブのクリの方が甘くて味がよいことに気づいた。ツブの大きいのは栽培の栗に近いのだろう。
一昨年も高橋さんから山栗の生のやつをいただいて、おいしく食べたが、今年はその量が半端でない。今年はクリの“生り年”だそうで、そういえば夏の頃から、里山の栗の木が鈴なりの実をつけていたのを思い出す。
昨年は猛暑で、クリの木が大量に枯れ、ろくに実をつけなかったから、今年はそれを挽回しようということなのだろうか。“生り年”の仕組みはまだ分かっていないらしいが、「多くの個体が同調して種子を作ると、種子を食べる動物が食べきれない量になり、食べ残した種子が発芽する確率が高くなる」という説があるという。
それでは生態系のバランスが崩れてしまうから、生り年の次の年にはたくさんの実をつけずに、種子を食べる動物の個体数の増加が抑制されるということらしい。それなら毎年一定量の実をつければよさそうなものだが、周期的に“生り年”と“不生り年”を繰り返す植物があってもおかしくはない。
柏崎・夢の森公園の「月刊ニュース」にも、「夢の森の木々たちは今年生り年を迎えるものが多い」と書いてある。コナラ、ヤマボウシ、クリ、ガマズミなどが生り年を迎えているという。今年は山に大量の木の実が残されて、動物達の食欲を満たすことだろう。
ところで、茹で栗を食べているうちに、大きくて美味そうなクリが意外と美味しくなく、小さなツブのクリの方が甘くて味がよいことに気づいた。ツブの大きいのは栽培の栗に近いのだろう。
(越後タイムス10月14日「週末点描」より)
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