玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(31)

2019年02月15日 | ゴシック論

●ジョリス=カルル・ユイスマンス『大伽藍』⑦
 エドマンド・バークが挙げている「崇高」の観念を構成する要素は、他にも「建物の大いさ」「壮麗さ」「建物の中の光」「唐突さ」などさまざまあるが、どれもがごゴシック大聖堂が持っている性質に当てはまるもので、ゴシック・リヴァイヴァルの先導役として『崇高と美の観念の起原』が果たした役割の大きさを示していると、私は思う。
 一方、「美」の観念を構成する要素としてバークが挙げているのは、「小さい」こと、「滑らかさ」「漸進的変化」「繊細さ」などであり、それらは「崇高」の要素として掲げられたいくつかのものの反対概念に過ぎないケースが多く、それほど独創的なものではない。
 ただしここで、「美」の観念を構成する要素として挙げられているものが、ほとんどすべて女性的な要素であることを見逃すことはできない。特に「漸進的変化」としてバークが例示しているのは「女性の肩から乳房への部分」の滑らかな曲線であり、女性の肉体の美そのものである。
 つまりバークは「美」の観念の起原を、肉体的なもの、精神的なものを含めた女性的原理に求めていることになる。そして「美」の反対概念である「崇高」の起源は男性的原理に求められることになるだろうし、事実そうなのである。
 ようやくここで、ユイスマンスとシャルトル大聖堂に関する話に戻ることができる。建築物としてのゴシック大聖堂に見られるのは、男性的原理を起源とする「崇高」の観念であり、ゴシック大聖堂の信仰の形態としてのマリア信仰に見られるのは、女性的原理を起源とする「美」の観念であるという結論を導き出すことができる。
 私にとって理解しがたいのは、ユイスマンスがどのようにしてこの二つの両極端の原理を乗り越えて、回心に至ったのかという過程である。一方では建築物としての男性的原理の表れを見て心酔し、一方では、聖母マリア像に女性的原理の表れを見て、そこに回帰していくという姿は私の理解を超えている。
 それよりもむしろ、ヨーロッパ中世において男性的原理に支配されたゴシック大聖堂が、何故に女性的原理の象徴である聖母マリアに捧げられたのかという問題の方が大きいのではないかと言われるかも知れない。
 しかしそれは、歴史の問題であって、ゴシック大聖堂が民衆へのキリスト教布教のために建てられ、本来はキリスト教の要素にはなかった聖母信仰を、民衆教化のために取り入れざるを得なかったというふうに、その問題は解かれ得るであろう。そこには妥協と、折衷、異なる原理の併存があるが、「崇高」と「美」の観念が未分化であった時代を想定するならば、ことさらそのことは異とするに足りないことのように思う。
 しかし、一人の近代人としてのユイスマンスの回心の場合にはそうはいかない。もし男性的原理が優先するならば、彼はゴシック大聖堂を愛するディレッタントに留まることができたであろうし、女性的原理が優先するならば、無骨なゴシック建築よりもより優美な建築様式を好んだのではないかと思う。
 パリのノートル=ダム大聖堂はユゴーの言うように、ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期の建築であって、ゴシック大聖堂としては例外的に、女性的な美しさを誇っているが、ユイスマンスはパリ大聖堂を〝二流〟と断じて、シャルトル大聖堂のゴシック建築としての純粋性をこそ好んだのである。
 エドマンド・バークの崇高の美学は極めて近代的な意識に貫かれている。それは近代が生んだ産物であって、中世人のよく意識し得ぬところのものであった。ユイスマンスの高踏的美学もまた極めて近代的なものであって、男性的原理と女性的原理の混交など許されるものではなかったはずである。
 ユイスマンスはカトリックへの回心にあたって、ある一線を越える。近代という境界線を越えるのである。それは幽冥の中世への自己放棄のようなものであって、何を言ったことにもならないかも知れないが、私にはそのような理解しかできないのである。
(この項おわり)


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