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玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』(1)

2019年03月21日 | 読書ノート

 スーザン・ソンタグの『ラディカルな意志のスタイルズ』は、1969年に出版されているが、おおむね1966~1967年に発表された評論文をまとめたものだ。この本が昨年暮れに日本で翻訳出版されたということは、近年1968年の全世界的な学生の叛乱に対する懐古的な出版物が多く出ている、その一環なのであろうか。
 懐古的と言ったら怒られそうだから、総括的と言い直してもいいが、当時その渦中にあったわけではない者(まだ高校生だった)として言わせてもらうならば、50年も経ってからしか総括ができなかったのかという疑問を呈するしかない。しかもたとえば、筑摩選書で出ている『1968年』シリーズの3冊は、運動の当事者ではなく当時私と同じ高校生であった、四方田犬彦の編集によるものである。
 当事者は何をしているのかと思ってもおかしくないだろう。というわけで『ラディカルな意志のスタイルズ』の訳者もまた、私より年下の管啓次郎と、ずっと年下の波戸岡景太なのである。
 この本を買う時に私には心配なことが一つあった。カバーに使われているソンタグの写真に問題があるのである。彼女の書斎で撮影されたものと思われるが、そこに毛沢東を描いた版画とおぼしきものが飾られているのである。
 1968年の全世界的な学生の闘争に関しては、毛沢東が1966年に始めた文化大革命が与えた影響も強くあった。最先端を走ったフランスの学生たちの間でも、毛沢東主義にかぶれたものも多かったし、知識人の間にも文化大革命に共鳴する思想家も多くいた。日本でもそうした傾向は強くあり、私の知人でも毛沢東の言う〝造反有理〟を行動の指針としている者もいたのであった。
 文化大革命が紅衛兵を利用して毛沢東の主導した権力闘争でしかなかったことがばれたのは、いつ頃だったのか私は覚えていないが、あの紅い本、毛沢東語録を振りかざして知識人たちを糾弾する紅衛兵の姿に強い違和感を覚えていたのは事実である。
 ところで書斎に毛沢東の版画が飾ってあるということは、スーザン・ソンタグもまた毛沢東の影響を受けていた一人だったのだろうか。私はソンタグの政治評論は読んだことがないので、そのあたりは知らずにいたが、当時の学生たちと同様に毛沢東にかぶれていたのだろうか。だとすれば私が尊敬するソンタグにも傷があったことになり、それを見たくないという気持ちからこの本を買うことに一抹の不安を感じたのだった。
『ラディカルな意志のスタイルズ』は三部に別れている。Ⅰが美術・文学論、Ⅱが映画論、Ⅲが政治に関するエッセイとなっている。私が昔読んだ『反解釈』には政治論は含まれていなかったはずだ。Ⅲには「ハノイの旅」が含まれているが、これはまさに1968年、ベトナム戦争の最中に北ベトナム政府に招かれて、ハノイを訪問した記録であり、そこでソンタグがどのようなことを書いているのか強い興味と同時に、不安も抱いていたというわけだ。
 Ⅰは「沈黙の美学」がモダン・アート論、「ポルノグラフィ的想像力」がポルノにおける文学性を論じたもの、「みずからに抗って考えること」は私にとっても懐かしいE・M・シオランについての論考である。
 この本のうち、最もよく書かれているのはⅠであって、やはりスーザン・ソンタグは第1に文学の人という印象を強くする。「沈黙の美学」は美術論ではあるけれども、文学論と同様彼女のずば抜けた抽象的思考能力を発揮している。
「沈黙の美学」はモダン・アート、今日で言う現代アートについて考える時に大きな示唆を与えてくれる。この文章が書かれてから50年も経っているというのに、モダン・アートと言われたものと、現代アートと言われるものとの違いはそんなに大きなものではないからだ。
 次のような文章を読んでみよう。ソンタグの独創的な思考が見えてくる。

「真剣であるかぎり、アーティストはオーディエンスとの対話を断ち切るという誘惑を、絶えず感じている。沈黙とは、このコミュニケーションへのためらい、オーディエンスとの接触に対する両義的感情が、もっとも拡張されたものだ。」


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