玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

郷土史家と健脚

2006年05月13日 | 日記
 晴天に恵まれたゴールデンウィークだったが、ほとんど市内から外へ出ることはなかった。一番遠い所へ行ったのも、かつては市外であった高柳町まで。でも、市内でいろんな発見をすることができた。
 柏崎刈羽郷土史研究会の新沢佳大会長のお供で、柏崎の中世歴史散歩としゃれ込んだ。あちこちと歩いたが、主に中世の城跡めぐりで、歴史音痴の私には、初めて足を踏み入れる場所もいくつかあった。
 上条城趾も初めて訪れる史跡の一つだった。ここは上杉氏の分家である上条上杉氏が城を構えていた所で、今は城の痕跡など何一つ残っていない。ただし、城を築いた土塁の跡は、その段差によって「言われてみればそうかな」という程度には分かる。
 それよりも地元の人が植樹した、さまざまな桜が咲き誇っていて美しかった。ソメイヨシノはとうに散っていたが、白色やピンク色の八重桜が青空に映えていた。鬱金桜も花盛りだった。緑色の花弁を持つこの桜は、最初群馬県の妙義神社で見た。
 その淡い緑色が何とも言えぬ風情を感じさせて、「珍しいものだな」と思った記憶がある。上条城趾には、この桜が何本か植えられていて、訪れる者の目を楽しませてくれる。濃いピンク色の八重桜にどぎつさを感じたら、鬱金桜のやさしい色彩で目を休ませるに限る。
 ちょっと市外にも出た。市外と言っても刈羽村。斎藤下野守が城を構えた赤田城趾に登るためだ。ここは何度も来てよく知っている。十五分ほど登れば頂上の本丸跡に到達する。カタクリの花は終わっていて、シャガの花はまだ。ちょうど端境期で目を楽しませてくれる花はなかったが、眼下の田園地帯を渡ってくるそよ風が気持ちよかった。
 それにしても、新沢先生の健脚ぶりに驚いた。三十年前には歴史研究のために、あちこち歩かれたそうで、郷土史研究家の一つの条件は健脚にあると知った。

越後タイムス5月12日「週末点描」より)


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