主人公の罪人ロバート・ウリンギムはスコットランド・ダルカースルの領主で、信仰心薄い快楽主義者ジョージ・コルウァンと狂信的な宗教改革の信奉者であるラビーナとの間に生まれた、父と同名のジョージの弟である。しかし、ロバートは父ジョージに嫡子として認知されない。
どうもロバートの本当の父親は母ラビーナの宗教心に強い影響を与えたウリンギム牧師であるらしい。だからウリンギム牧師はロバートにウリンギムという洗礼名を与えたのだろう。ラビーナは新婚早々、ジョージがお祈りを上げないことを理由に新婚の床を拒絶し、すぐに別居生活に入るから、どうして兄ジョージが誕生したのかいささか疑問は残るが、まあいいだろう。もっとあり得ないのは弟ロバートが父ジョージの子であることなのだ。
ロバートは狂信的な両親に実質的に育てられ、両親以上に狂信的な若者に成長していく。両親の狂信ぶりは常軌を逸していて、いささか戯画化されて描かれているとはいいながらも、圧倒的なリアリティがある。それこそがロバートの悪魔を生んだのである。悪魔はロバートの分身に他ならない。
分身たる悪魔は極端に不寛容な教義をもって、ロバートに兄殺しや父殺しを唆すが、その教義とは「神に選ばれた者は、神の意志によって生きるのであるから、過ちを犯すことはあり得ない」というものであり、ロバートこそ神に選ばれた者だというのである。また「信仰薄き罪人たちは一刻も早く殺してしまった方が、害悪が少なくてすむ、それこそ神が喜びたもうところのものだ」とも悪魔はロバートを教唆する。
しかし、悪魔の教義は元を正せばウリンギム牧師の狂信に発していて、父母によってロバートの中に植え付けられたものである。悪魔はロバートの分身なのであり、狂信が生んだ極端な教義は悪魔の唆しと言うよりもロバート自身に内包された思想なのである。
このあたりをホッグは極めて重層的に描いていて、思想小説のような趣もある。ホッグは宗教への狂信こそが生み出す悪魔的な思想や行為を描くことで、人間にとっての宗教やそれに対する狂信の実相を抉り出しているのである。
どうもロバートの本当の父親は母ラビーナの宗教心に強い影響を与えたウリンギム牧師であるらしい。だからウリンギム牧師はロバートにウリンギムという洗礼名を与えたのだろう。ラビーナは新婚早々、ジョージがお祈りを上げないことを理由に新婚の床を拒絶し、すぐに別居生活に入るから、どうして兄ジョージが誕生したのかいささか疑問は残るが、まあいいだろう。もっとあり得ないのは弟ロバートが父ジョージの子であることなのだ。
ロバートは狂信的な両親に実質的に育てられ、両親以上に狂信的な若者に成長していく。両親の狂信ぶりは常軌を逸していて、いささか戯画化されて描かれているとはいいながらも、圧倒的なリアリティがある。それこそがロバートの悪魔を生んだのである。悪魔はロバートの分身に他ならない。
分身たる悪魔は極端に不寛容な教義をもって、ロバートに兄殺しや父殺しを唆すが、その教義とは「神に選ばれた者は、神の意志によって生きるのであるから、過ちを犯すことはあり得ない」というものであり、ロバートこそ神に選ばれた者だというのである。また「信仰薄き罪人たちは一刻も早く殺してしまった方が、害悪が少なくてすむ、それこそ神が喜びたもうところのものだ」とも悪魔はロバートを教唆する。
しかし、悪魔の教義は元を正せばウリンギム牧師の狂信に発していて、父母によってロバートの中に植え付けられたものである。悪魔はロバートの分身なのであり、狂信が生んだ極端な教義は悪魔の唆しと言うよりもロバート自身に内包された思想なのである。
このあたりをホッグは極めて重層的に描いていて、思想小説のような趣もある。ホッグは宗教への狂信こそが生み出す悪魔的な思想や行為を描くことで、人間にとっての宗教やそれに対する狂信の実相を抉り出しているのである。
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