冬季北京五輪への外交的ボイコットが広がっている。
現在のところ、米英豪加ニュージランドが政府関係者の出席を取りやめ、リトアニアが欠席を検討しているとされる。
岸田総理は「慎重に判断する」として対応を明らかにしていないが、日本の指導者・外交の極致である「逡巡して時期を誤る」に他ならないように思える。
中国との関係密度を考えれば比べるべくもないが、ニュージランドはアメリカの意思決定のはるか以前に「コロナのために欠席」を、独仏はアメリカの決定以前から中国の人権抑圧は非難しつつも「五輪と政治の分離」を理由に掲げて出席する意向を、それぞれ表明している。
いずれも、政治的ボイコットによる米中の確執が今ほど鮮明・尖鋭でない時期に表明されたために、中国もさしたる反応を見せなかったように思っているが、火勢がこれほど強くなった現状では、参加・不参加いずれを選択しようとも、決定は政治的意図と観られて米中どちらかの反発を受けることは間違いない。
自分は、日本も政府関係者を出席させるべきではないと思っているが、もし日本が早期に「国会会期中であるので政府関係者の出席は困難であるが、東京五輪の返礼・答使としてしかるべき人を出席させる」とでもしておけば、総理も今ほどの苦境に立たされることは無かったであろう。
日本の政治家や官僚の世界では、世論・各国の状況を見極めて決定する、所謂「後出しじゃんけん」が鉄則であるように思える。そのことで「後れを取る」「主導権を握れない」ケースがこれまでも数々指摘されてきた。特に、大東亜戦争前の対米交渉では近衛内閣の逡巡によって日本としての提案・対案を出し遅れて、唐突にハル・ノートと云う最後通牒を突き付けられたのは余りにも有名である。
トランプ政権の孤立主義に対して安倍総理は「自由で開かれたインド太平洋戦略」を提唱して主導権を握り、クワッド構築や英独仏艦艇の来航を実現し、オーカスにまで波及するというトレンドを実現したが、北京五輪の対応を誤れば(既に証文の出し遅れで対応を誤っていると思うが)、これまでの外交実績を一挙に失う・若しくは域内での発言力・存在感を低下させる可能性がある。
日本版マグニツキ-法を成立(提出)・ウィグル擁護を国会決議(全員一致ではなく)する一方で、北京五輪にはスポーツ庁の№2程度を送るなどの「したたか外交」が出来ないものだろうか。