もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

美空ひばりさんの「みだれ髪」

2022年01月18日 | 芸能

 昭和の歌姫"お嬢”美空ひばりさんの「みだれ髪」について。

 [みだれ髪」が発表された1987(昭和62)年に"お嬢”は厳しい境遇に置かれていた。既に母(喜美枝さん)と実弟(和也・武彦)は鬼籍に入り、自身も4月に重度の難病で入院を余儀なくされ、6月には鶴田浩二が、7月には石原裕次郎が、と親交が深かった大スターが相次いで死去している。そんなこともあって美空さんは再起不能であろうともみられていた。
 そんな中、表題に掲げた「4みだれ髪」が再起第1作として発表された。作詞「星野哲郎」、作曲「船村徹」のゴールデンコンビによる楽曲であったが、テレビで見た船村氏の述懐(記憶でありデテールは異なるかも)が3者の天才ぶりを如何なく示しているように思っている。
 星野氏は、灯台以外には何もない荒涼とした塩屋崎の風景から狂気の恋女を創出し、船村氏は"お嬢”から拒否される覚悟を秘めて、それまで"お嬢”が歌ったことのない高音域を含む曲を"お嬢”への尊厳と期待を込めて用意した。通常ではレコーディングの何日か前には詞と曲が歌手のもとに届けられるが、その時は諸般の事情から打ち合わせの席で手渡されたとされている。
 楽曲を渡された"お嬢”は、数分間凝視し小さくハミングを繰り返したのち、「これで行きましょう。皆を集めて下さい」と云われたそうである。
 既に当時でも、演奏と歌唱を別々に録音する別録が主流であったが、"お嬢”だけは往年の同時録音が特権的に認められていたそうで、スタッフは大慌てにオーケストラをかき集めたとされている。
 レコーディングでは、"お嬢”の体力がもたないためにTakeごとに休息するという状態であったが、驚くほどの短時間で完了し、見事な裏声を駆使した新しい「美空歌謡」が誕生したとされている。

 演歌の巨星3人が集結して、全く新しい世界を産み出した「みだれ髪」。
 このような背景を知って戴いた上で、演歌嫌いの人にも一度聞いて欲しい1曲と思う。
 星野哲郎氏と船村徹氏については、日を改めて登場して頂くことにする。


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