もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

陸自機の墜落に思う

2023年04月14日 | 自衛隊

 宮古島沖に墜落した陸自機の本体と思われる水中物標を発見したことが報じられた。

 通常の交信後2分間で機影が消えたとされていることから、墜落原因について数々の憶測が為されているが、今後の調査に待つべきと思っている。
 本日は、艦艇の装備に関する「都市伝説的」あれこれである。
 昭和40年代以降、大型艦から順次全艦冷暖房が取り入れられたが、最初に全艦冷房を採用した「あまつかぜ」では、乗員のためではなく対空ミサイル管制システム冷却が目的であるという噂が専らであった。まだ官民ともに全館(艦)冷房や区分冷房のノウハウを持たなかった時代であるので、機器冷却のための最適温度を保つために乗員は夏でも防寒ジャンパーを着用することもあったが、このことは自衛艦のみならず米艦でも同様で、昭和50年代後半に見学したイージス艦でも少なからぬ乗員が防寒ジャンパーを着ており、半袖制服の我々は冷え切って震えたことを記憶している。その後、戦闘区画と居住区画を分ける通風(冷暖房)形式に改められたが、これとても有事のNBC防御が主眼であり平時における居住環境改善は付随的であると思っている。
 現在、護衛艦はフィン式の減揺装置を装備しているために動揺が少なくなって乗員の疲労は軽減されたが、これとても元来はヘリ搭載艦における発着艦のために装備した由来の物であって、ヘリを運用しない旧型のミサイル艦には装備されなかった時代もあった。
 長々と都市伝説を記述したのは、自衛隊(軍隊)にあっては、有事における能力発揮が全てに優先し、そのためならば乗員の快適さや安全についてもなおざりにされる場合があり得るということを言いたいためである。これまでも戦闘力確保のために無理を重ねた例は多い。日清戦争に備えて30.5cm砲を装備した清国北洋艦隊の主力「鎮遠・定遠」に対抗すべく32㎝砲搭載の三景艦(松島・橋立・厳島)を建造したが期待通りの戦果には結びつかなかった。
 対米戦劈頭では米軍を圧倒した零戦・一式陸攻も、防弾性能を犠牲したものであったために中期以降は「ワンショットライター」と評価されるに至った。

 墜落した陸自ヘリコプタについても、着水フロートの不装着などを指摘する意見があるが、それとても搭乗員や指揮官が飛行任務完遂のための最適装備と判断した結果であるのか、はたまた基地がフロートを持っていなかったのか、等々を精査することが必要である。
 殉職された隊員には心からの哀悼を捧げるものであるが、原因を調査して正すべき点は正して欲しいと願うと同時に、「角を矯めて牛を殺す」改善策でないことを祈るばかりである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿