昨夜はエアコン無しで眠れました~ありがたい事です。一転今日は朝からいい天気。
昨日の雨のせいか、洗濯物の乾き具合がいまいちです・・・。
←も夏休みに入ったらしく、珍しく朝から洗濯かけをしてました。
「おーい、なんでこんなに濡れてるの?」「脱水時間の節約よ!」
「どんだけ脱水したの?」 「30秒」
「洗濯物から水がたれてるんですけど・・」「こうでもしないとやってけないよ!休みは給料でないんだから
」
それにしても、ひど過ぎるから綿の素材の物だけ脱水をやり直す
です。
あーあ・・・長い貧乏暮らしは根性まで曲げるんだな・・・。と朝から少し憂鬱です。
さて、昨日の記事の最後の方で、ほんとうは、この世界には実態としては自分しか存在しない。と書いたのですが、何故そうなるかの説明を少し書きます。
もちろん自分以外の存在もすべて実在です。妄想ではありません。
しかし、それを感じとっているのは自分自身であり、自分の5感とよく言われるところの第6感を通して感じ取っているに過ぎないって事です。
その部分はには絶対は無い。 相対という側面はあるかもしれませんがね。
その相対の部分を補足するために近代科学文明や分析技術が発達したのですが、その基準となるデバイス(根幹的な部分)が揺らいでいて、おまけに真実の基準が権力者側にしかなければ、それはまったく意味の無い行為・・・支配に繋がる事になるのです。
絶対がないから、皆でわかり合える相対の部分をせっかく共有できる段階に達しても(文明が)、ピラミッドを維持する為にそれを利用しているのがこの世界。
(基準を作っているのが企業であり支配層だから)
ですから、相対も当てにならない。もちろん絶対など無い。
であるなら、ある事象を判断するのは自分の実態しかない事になる・・・。そうなれば、逆説的に自分以外の存在は、自分が感じ取っている幻に過ぎない・・・という結論になるのですが・・・。
となれば、この世界を知る方法は、自分を見つめる事になる。
言い換えれば、「すべての答えは自分の中にある」となるのですね。
わかるかなぁ~わからねーよなぁ~?←古い??とまぁ、洗濯物干しくらいしか役に立たない親父の戯言でした。
そうそう、節約とそこまでの節約は「無駄」の境目の基準も違う。
今日の話でも、
のやり方と
のやり方を同じ条件で洗濯物を干して、どちらが早く乾き、しかも水と電気の節約になるかをしっかり検証する必要がある。
その検証過程で、結論ありきではどうしようもない。←ここが重要。
お互いに譲らなければ一緒に住めない。 それが組織になり国になり民族になれば?
心根は同じ・・・。
といっても、その時の条件での最大値は存在します。それを快く認めるかどうかなんですがね・・・。
人とは(かみ合わなければ)まことに悲しい存在ですよ・・・
。
追記・・・普通ならすでにこの時間には乾いている洗濯物がまったく乾いていません。
おまけに水分を多く含んだ綿物の場合は乾く過程で雑菌が繁殖するようで、生乾きの臭いがします。
結論として、最悪は洗濯そのものをやり直す必要もあるので、完全な無駄です。
に言えば喧嘩になるので・・・何も言いませんが、脱水の時間短縮はまったく意味が無いと
は思いますね。
人の本性は貧乏になってからわかりますよ。貧乏も自分を知る一つの方法かもしれません。
昨日の雨のせいか、洗濯物の乾き具合がいまいちです・・・。

「おーい、なんでこんなに濡れてるの?」「脱水時間の節約よ!」
「どんだけ脱水したの?」 「30秒」
「洗濯物から水がたれてるんですけど・・」「こうでもしないとやってけないよ!休みは給料でないんだから

それにしても、ひど過ぎるから綿の素材の物だけ脱水をやり直す

あーあ・・・長い貧乏暮らしは根性まで曲げるんだな・・・。と朝から少し憂鬱です。
さて、昨日の記事の最後の方で、ほんとうは、この世界には実態としては自分しか存在しない。と書いたのですが、何故そうなるかの説明を少し書きます。
もちろん自分以外の存在もすべて実在です。妄想ではありません。
しかし、それを感じとっているのは自分自身であり、自分の5感とよく言われるところの第6感を通して感じ取っているに過ぎないって事です。
その部分はには絶対は無い。 相対という側面はあるかもしれませんがね。
その相対の部分を補足するために近代科学文明や分析技術が発達したのですが、その基準となるデバイス(根幹的な部分)が揺らいでいて、おまけに真実の基準が権力者側にしかなければ、それはまったく意味の無い行為・・・支配に繋がる事になるのです。
絶対がないから、皆でわかり合える相対の部分をせっかく共有できる段階に達しても(文明が)、ピラミッドを維持する為にそれを利用しているのがこの世界。
(基準を作っているのが企業であり支配層だから)
ですから、相対も当てにならない。もちろん絶対など無い。
であるなら、ある事象を判断するのは自分の実態しかない事になる・・・。そうなれば、逆説的に自分以外の存在は、自分が感じ取っている幻に過ぎない・・・という結論になるのですが・・・。
となれば、この世界を知る方法は、自分を見つめる事になる。
言い換えれば、「すべての答えは自分の中にある」となるのですね。
わかるかなぁ~わからねーよなぁ~?←古い??とまぁ、洗濯物干しくらいしか役に立たない親父の戯言でした。
そうそう、節約とそこまでの節約は「無駄」の境目の基準も違う。
今日の話でも、


その検証過程で、結論ありきではどうしようもない。←ここが重要。
お互いに譲らなければ一緒に住めない。 それが組織になり国になり民族になれば?
心根は同じ・・・。
といっても、その時の条件での最大値は存在します。それを快く認めるかどうかなんですがね・・・。
人とは(かみ合わなければ)まことに悲しい存在ですよ・・・

追記・・・普通ならすでにこの時間には乾いている洗濯物がまったく乾いていません。
おまけに水分を多く含んだ綿物の場合は乾く過程で雑菌が繁殖するようで、生乾きの臭いがします。
結論として、最悪は洗濯そのものをやり直す必要もあるので、完全な無駄です。


人の本性は貧乏になってからわかりますよ。貧乏も自分を知る一つの方法かもしれません。