何だか肩が痛くて・・・いつも同じ場所を押さえると(本当は胃のツボなんですが)、そこを押さえると胃の調子が良くなるどころか気持ち悪くなって、おまけに頭痛がやってくる。昔は医者へ行ってましたが、整形へ行っても痛いなら痛み止め・・・。
「痛み止めを飲むと胃が荒れるから・・・」と話しても同じ薬・・・。
もっと凄い医者は、カルテにアレルギー反応がある薬名をちゃんと書いてあっても、その薬を点滴される始末です。大変な拒絶反応でしたね・・・。それで、ごめんなさいで済まされ、お金まで取られる始末。(随分前に私が体験した実話です。)
そんなかんなで色々な事を思い出します。
今日の記事も妄想であり戯言です。ですからスルーして下さい。
さて、カップヌードルは体に悪いからあんまり食べなさんなと子供の頃は母からよく言われました。カップヌードルを作る準備をしながらいつもその言葉を思い出します。
でも、今まさにお湯を入れようとしているカップヌードルに罪があるわけでは無い。
この製品の影には多くの人々や多くの自然界のエネルギーがある・・・。
こうして沸かしたお湯だって、ガスがなければどうにもならない。
カップヌードルがほんとうに体に悪いかどうかはわかりません。わかりませんが、仮に悪いとしても、何も食べ物が無い時に確かに一時の空腹感は満たしてくれます。
(最近は食べると、どうもお腹の調子が悪くなるので滅多に食べませんがね・・・。)
そして、仮に悪いと仮定して、この瞬間も沢山のカップヌードルが誕生しているわけです。
第一次生産者から2次生産者へ渡り、不足している小麦粉のはずが何故か調達され、高騰する容器に包れて、これまた高騰している人件費やら輸送コストにも関わらず、多くの人々の涙ぐましい努力で、今、目の前に存在する。
その原子たちは日本生まれではありません。そんな事はどうでもいいのですが・・・。
その流通に携わっている人たちも皆、お金の為、生きるために携わっているのです。
そして、生まれた生産物には罪は無い・・・。
では、出来る事はなんだろう? 買わない事? 皆が買わなければ在庫はだぶつき、消費期限が切れれば焼却処分となるでしょう。
それが道?
こうも考えられます。もしかするとカップヌードルは日本人だから気軽に食べられるのでは?
水が油よりも高い砂漠の国ではどうでしょう?
大切な水を沸かして、調理が済めば、その水を簡単に捨てられるでしょうか?(カップ焼きそばの場合はお湯を捨てますからね・・・)
そう考えると、なんと目には見えない価値のある製品ではないでしょうか。
さて、既に買ってここにあるわけですから出来る事は、おいしく感謝をしていただく事しかないような気がします。
永遠のパラドックス・・・これは、生まれた環境によりどうしても考え方が根底から違うと云う事です。同じ事象でも国と文化、そして子供のころからの教育環境によって物事の捕らえ方が全く違うって事です。パラドックスという表現も捕らえ方が違う・・・。
少し、知性があれば理解はできると思います。
しかし、理解と改心とは根本的に違う・・・だから、この星には異なる人種と異なる国が存在し、分けられているのです。一つにならないように・・・そこにバラドックスの秘密がある。(色の存在←現在進行中)
それはまるで、宇宙の縮図のように・・・。
注意・・・ここで書くカップヌードルは特定の企業が製造する製品を指し示すわけでは決してありません。お湯をかけて作る一般的なインスタント麺食品の事です。また、体に悪いわけでは無いと思います。私は、毎日食べられないですが・・・だた、それだけの事です。
どんな製造物にも、生まれがあり様々なストーリーが展開しているものです。
そして、その存在たちの元は残念ながら私には創れない・・・だから、「ありがとう」と感謝の言葉をかけるしか能がないのです。
の云うパラドックスとは永遠に交わる事のない矛盾。交差することはあっても決して交わる(一つになる)事のない矛盾。
太陽でさえも完全な球体にならない理由。随分前に浮かんだ仮説が・・・。
あらゆる原子は完全な球体になるとこの世界から見えなくなる。完全な球体では無いからこそ色を反射して存在できる。この世界は色を(あらゆる事象を)観察し(自分を通して)感じる世界。次の自分の世界のために・・・。
その為に存在が許されている。ならば、争いも、競争も、破壊も契約には存在しなかった事になる。
争いも、競争も、破壊も、生きるための搾取も・・・嫌になったなら、偽りの契約書を捨てる事です。そこには、宇宙とあなたしか存在していません。
きっと、やさしい風が微笑む事でしょう。
しばらく更新をお休みします。まだまだ残暑が厳しいのでお気をつけください。
アーヤパパ
「痛み止めを飲むと胃が荒れるから・・・」と話しても同じ薬・・・。
もっと凄い医者は、カルテにアレルギー反応がある薬名をちゃんと書いてあっても、その薬を点滴される始末です。大変な拒絶反応でしたね・・・。それで、ごめんなさいで済まされ、お金まで取られる始末。(随分前に私が体験した実話です。)
そんなかんなで色々な事を思い出します。
今日の記事も妄想であり戯言です。ですからスルーして下さい。
さて、カップヌードルは体に悪いからあんまり食べなさんなと子供の頃は母からよく言われました。カップヌードルを作る準備をしながらいつもその言葉を思い出します。
でも、今まさにお湯を入れようとしているカップヌードルに罪があるわけでは無い。
この製品の影には多くの人々や多くの自然界のエネルギーがある・・・。
こうして沸かしたお湯だって、ガスがなければどうにもならない。
カップヌードルがほんとうに体に悪いかどうかはわかりません。わかりませんが、仮に悪いとしても、何も食べ物が無い時に確かに一時の空腹感は満たしてくれます。
(最近は食べると、どうもお腹の調子が悪くなるので滅多に食べませんがね・・・。)
そして、仮に悪いと仮定して、この瞬間も沢山のカップヌードルが誕生しているわけです。
第一次生産者から2次生産者へ渡り、不足している小麦粉のはずが何故か調達され、高騰する容器に包れて、これまた高騰している人件費やら輸送コストにも関わらず、多くの人々の涙ぐましい努力で、今、目の前に存在する。
その原子たちは日本生まれではありません。そんな事はどうでもいいのですが・・・。
その流通に携わっている人たちも皆、お金の為、生きるために携わっているのです。
そして、生まれた生産物には罪は無い・・・。
では、出来る事はなんだろう? 買わない事? 皆が買わなければ在庫はだぶつき、消費期限が切れれば焼却処分となるでしょう。
それが道?
こうも考えられます。もしかするとカップヌードルは日本人だから気軽に食べられるのでは?
水が油よりも高い砂漠の国ではどうでしょう?
大切な水を沸かして、調理が済めば、その水を簡単に捨てられるでしょうか?(カップ焼きそばの場合はお湯を捨てますからね・・・)
そう考えると、なんと目には見えない価値のある製品ではないでしょうか。
さて、既に買ってここにあるわけですから出来る事は、おいしく感謝をしていただく事しかないような気がします。
永遠のパラドックス・・・これは、生まれた環境によりどうしても考え方が根底から違うと云う事です。同じ事象でも国と文化、そして子供のころからの教育環境によって物事の捕らえ方が全く違うって事です。パラドックスという表現も捕らえ方が違う・・・。
少し、知性があれば理解はできると思います。
しかし、理解と改心とは根本的に違う・・・だから、この星には異なる人種と異なる国が存在し、分けられているのです。一つにならないように・・・そこにバラドックスの秘密がある。(色の存在←現在進行中)
それはまるで、宇宙の縮図のように・・・。
注意・・・ここで書くカップヌードルは特定の企業が製造する製品を指し示すわけでは決してありません。お湯をかけて作る一般的なインスタント麺食品の事です。また、体に悪いわけでは無いと思います。私は、毎日食べられないですが・・・だた、それだけの事です。
どんな製造物にも、生まれがあり様々なストーリーが展開しているものです。
そして、その存在たちの元は残念ながら私には創れない・・・だから、「ありがとう」と感謝の言葉をかけるしか能がないのです。

太陽でさえも完全な球体にならない理由。随分前に浮かんだ仮説が・・・。
あらゆる原子は完全な球体になるとこの世界から見えなくなる。完全な球体では無いからこそ色を反射して存在できる。この世界は色を(あらゆる事象を)観察し(自分を通して)感じる世界。次の自分の世界のために・・・。
その為に存在が許されている。ならば、争いも、競争も、破壊も契約には存在しなかった事になる。
争いも、競争も、破壊も、生きるための搾取も・・・嫌になったなら、偽りの契約書を捨てる事です。そこには、宇宙とあなたしか存在していません。
きっと、やさしい風が微笑む事でしょう。
しばらく更新をお休みします。まだまだ残暑が厳しいのでお気をつけください。
アーヤパパ