先日ある家電店の改装セールへたまたま出かけた。しかしまーテレビも安くなったものです。
そのメーカーのTVを地デジに移行する少し前に19800円で買った。全く同じサイズのTVだ。そのころは多少のエコポイントなるものも付いてはいたけれど・・・それも結局は税金である。
正確にはさらに余分な機能を省いて省エネ・低コスト化されたのであろう。どうやらスピーカーも1個だ。消費電力はなんと16w・・・。我家のも同じメーカーのTVなんだが、ほとんど同じ性能で24w消費する。これが「あわてる乞食はもらいが少ない」と云われる所以なんだろうか・・・。
一番の違いはバックライトがLEDになっていた。我家のTVはLEDでは無い。そこの差が消費電力に現れているのだろう。
ちなみに値段は処分価格で8000円でおつりが来る価格となっていた。
ちなみに、このTVは地上波デジタルチューナーのみ。外部入力もAVモノラル入力のみ。デジタル機器は繋いでも意味がありません・・・。シンプルすぎるくらいシンプル。
今や、ほとんどのTVにBSやらCSのチューナーが標準に付いている。もちろん我家のTVには無いですがね。
それがノーマルスタンダードなのか?いやけっしてそうでは無いと思う。
しかも住宅サイドでは、部屋のTV用のコンセントまで衛星放送の電波が来ている。
つまり、その時点で繋いで自動チューナー設定をすれば天下の国営放送が見えてしまうわけである。そうするとBS放送の料金も発生する事になる仕組みだ・・・。
厳密には言い逃れが出来なくなる。これが道なのだろうか・・・。
もちろんそうでは無い集合住宅も多いだろうからすべての話では無い。
契約する自由もあれば、断る自由もある。それが、本来の自由であり自己責任の社会であり、自立した社会なのでは・・・。
不必要な機能を無理やり買わされ、売れ行きが悪いならばあの手この手で圧力をかけて弱い民衆から巻き上げる。それでは、時代劇の中の悪代官と悪徳商人の構図そのものではないか・・・。
時代が変われど、結局人間の本質が同じである事の現れである。
より良い便利さを求めるなら、それなりの対価を払って求めればいい・・・。
だれもそこまでしないから、そのように成る様に自然に仕向ける事こそ、究極の「負」をもたらす事を学ぶべきである。
何故ならすべてを自然界は学び取っているからである。
貧乏人は色々な物を捨ててゆくしかない・・・すでにTVは捨てた。置いてはありますが見ない。はっきり云ってオブジェである。
DVDレコーダーにも興味が無くなった。音楽も・・・。
音は自然のささやきで十分である。 残念ながら食べる事と寝る事はまだ捨てられない・・・。
食べるといっても質素なものだ・・・それで十分。
このつぶやきの場所もいつまで続くことか・・・。
そんなわけで、無理に付いてゆかなくとも自然は暖かく迎えてくれると思う・・・たぶん・・・。
人間、最後は一人で旅立つのである。そして自然に戻る。
そのメーカーのTVを地デジに移行する少し前に19800円で買った。全く同じサイズのTVだ。そのころは多少のエコポイントなるものも付いてはいたけれど・・・それも結局は税金である。
正確にはさらに余分な機能を省いて省エネ・低コスト化されたのであろう。どうやらスピーカーも1個だ。消費電力はなんと16w・・・。我家のも同じメーカーのTVなんだが、ほとんど同じ性能で24w消費する。これが「あわてる乞食はもらいが少ない」と云われる所以なんだろうか・・・。
一番の違いはバックライトがLEDになっていた。我家のTVはLEDでは無い。そこの差が消費電力に現れているのだろう。
ちなみに値段は処分価格で8000円でおつりが来る価格となっていた。
ちなみに、このTVは地上波デジタルチューナーのみ。外部入力もAVモノラル入力のみ。デジタル機器は繋いでも意味がありません・・・。シンプルすぎるくらいシンプル。
今や、ほとんどのTVにBSやらCSのチューナーが標準に付いている。もちろん我家のTVには無いですがね。
それがノーマルスタンダードなのか?いやけっしてそうでは無いと思う。
しかも住宅サイドでは、部屋のTV用のコンセントまで衛星放送の電波が来ている。
つまり、その時点で繋いで自動チューナー設定をすれば天下の国営放送が見えてしまうわけである。そうするとBS放送の料金も発生する事になる仕組みだ・・・。
厳密には言い逃れが出来なくなる。これが道なのだろうか・・・。
もちろんそうでは無い集合住宅も多いだろうからすべての話では無い。
契約する自由もあれば、断る自由もある。それが、本来の自由であり自己責任の社会であり、自立した社会なのでは・・・。
不必要な機能を無理やり買わされ、売れ行きが悪いならばあの手この手で圧力をかけて弱い民衆から巻き上げる。それでは、時代劇の中の悪代官と悪徳商人の構図そのものではないか・・・。
時代が変われど、結局人間の本質が同じである事の現れである。
より良い便利さを求めるなら、それなりの対価を払って求めればいい・・・。
だれもそこまでしないから、そのように成る様に自然に仕向ける事こそ、究極の「負」をもたらす事を学ぶべきである。
何故ならすべてを自然界は学び取っているからである。
貧乏人は色々な物を捨ててゆくしかない・・・すでにTVは捨てた。置いてはありますが見ない。はっきり云ってオブジェである。
DVDレコーダーにも興味が無くなった。音楽も・・・。
音は自然のささやきで十分である。 残念ながら食べる事と寝る事はまだ捨てられない・・・。
食べるといっても質素なものだ・・・それで十分。
このつぶやきの場所もいつまで続くことか・・・。
そんなわけで、無理に付いてゆかなくとも自然は暖かく迎えてくれると思う・・・たぶん・・・。
人間、最後は一人で旅立つのである。そして自然に戻る。