ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者給付金詐欺  元事務補助員ら3人逮捕 福岡県警

2017年07月12日 03時55分13秒 | 障害者の自立

 福岡市の障害者就労支援施設などを巡る給付金不正受給問題で、福岡県警は10日、同市博多区の特定相談支援事業所「ことのは」(閉鎖)の元事務補助員で同市中央区今泉2、無職、中橋武彦容疑者(42)ら3人を詐欺容疑で逮捕した。

 他に逮捕されたのは同市城南区南片江4、飲食店従業員、平田敏之(35)と同市東区箱崎5、自営業、前田康行(39)の両容疑者。

 逮捕容疑は2015年10月~16年10月、障害者25人に就労移行支援をしたように装い、福岡市から13回にわたって計約3829万円をだまし取ったとしている。県警は認否を明らかにしていない。

 捜査関係者らによると、中橋容疑者らは15年5月~16年9月、前田容疑者らを代表とする就労移行支援施設を市内などに設立。活動実態がないにもかかわらず、障害者の職業訓練をしたなどとして障害者が住む自治体に給付金を請求し、福岡市など8市4町から総額1億6492万円を受け取っていたことが判明している。うち1億180万円について同市が今年1月、中橋容疑者ら6人を詐欺容疑で県警に告訴していた。

 県警は中橋、平田両容疑者が事件を主導したとみて、他にも被害がなかったか調べる。事業所側は不正に関与していなかったとみられる。

毎日新聞   2017年7月10日


旅館・ホテル空き室提供 豪雨被災、高齢者や障害者など対象 11日から受け付け

2017年07月12日 03時49分46秒 | 障害者の自立

 県内を襲った記録的な豪雨を受け、県は10日、被災した要介護の高齢者といった配慮が必要な人たちに、県内のホテルや旅館の空き部屋を無償で提供すると発表した。

 対象者は、豪雨で住宅が損壊するなどして避難所での生活を余儀なくされている要介護・要支援の高齢者や、障害者、妊産婦などと介助者。利用できる期間は当面とし、3食、入浴も付く。本人の同意を得た上で、県の保健師による健康チェックや相談も行う。

 申し込みは11日から朝倉市健康課、東峰村保健福祉課と、両市村内の各避難所で受け付ける。手続きが済み次第、即入室が可能。組合加盟の286施設の空き室状況などを踏まえ、入室先を調整する。

 県と県旅館ホテル生活衛生同業組合は3月、災害発生時に県内の宿泊施設を避難所として円滑に利用できるよう協定を締結。これに基づき、豪雨被災者支援の一環として実施する。

=2017/07/11付 西日本新聞朝刊=


成年後見で知的障害男性の預金着服 行政書士に廃業勧告

2017年07月12日 03時43分46秒 | 障害者の自立

 成年後見人契約を結んだ知的障害者の男性の預金を着服した疑いがあるとして、富山県行政書士会が、同県西部に事務所を構える60代の男性行政書士に廃業勧告をしていたことが11日、関係者への取材で分かった。

 男性行政書士は家裁の審判で解任され、同会は県に懲戒処分を求める措置請求を行った。ただ、本人は「着服の事実はない」と否定している。

 関係者によると、行政書士は平成27年9月ごろ、同県高岡市に住む当時40代の知的障害がある男性の成年後見人に就任。男性の母親の永代供養に絡み、男性の口座から実費より約12万円多く引き出した疑いがあるという。

 親族が解任を申し立てたのを受け、富山家裁高岡支部が昨年12月、解任の決定を出した。同会も今年4月に廃業勧告を行い、県に措置請求をした。

 同会の大塚謙二会長は「品位に欠ける行為。再発防止に努めたい」と話している。

2017.7.11   産経ニュース


トリックスターとしてのトランスジェンダー

2017年07月12日 03時36分11秒 | 障害者の自立

~三橋順子さんのお話を聞いて~

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」のゲスト講師による講義の3回目は、性社会・文化史研究者の三橋順子さんをお迎えした。

今回は都合によりゼミ生のレポートはなし。講義の概要は以下の通り。

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講義の概要

日本のメディアにおけるLGBTの取り上げ方にはいくつもの問題点がある。

そもそも「LGBT」は性的少数者の連帯を指すことばであり、それぞれは本来別々のカテゴリに属する。したがって「LGBT女性」「LGBT男性」といった表現は誤用である。

日本のメディアではトランスジェンダー、特に性同一性障害(GID)の扱いが他の3つのカテゴリや非GIDと比べて大きい、ゲイは実態と異なり過剰に女性らしさを強調する、レズビアンやバイセクシャルはほとんど取り上げられないなど、取り上げられ方に偏りがみられる。

この背景にあるものの1つは、日本のメディア、特にテレビにおける、いわゆる「オネェ」タレントの人気である。

おかま、ニューハーフ、Mr.レディその他、次々と新たな呼び名が作られ拡張解釈が行われてきたこのカテゴリには、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者などが含まれ、こうした属性を持つタレントたちは、男性優位の秩序が支配するメディア空間におけるある種の「トリックスター」として独自の立ち位置を占めてきた。

しかしその一方で、1990年代以降、性同一性障害がたびたびメディアで取り上げられるようになる。体の性と心の性が異なる人々を配慮すべき対象として「発見」したことは、同時にそれを治療すべき「病」と位置付けたことでもあった。

本来、男女は厳密に区分できるものではなく、多様なあり方があってしかるべきなのに、いずれか一方に属することのみを「正常」と決め、それに合わないものを「障害」とし、「治療」と称して体か心のいずれかを変えることを求めるという点では、望ましい状態とはいえない。

奇妙なことに、トランスジェンダーに対するこの2つの相矛盾する取り扱いは、日本のメディアにおいては何の問題意識もなく共存している。

報道番組やドキュメンタリー番組では、LGBTや「性同一性障害者」の人権擁護を主張する一方で、バラエティ番組では平然と「おかま」を笑い物にするダブルスタンダードが横行しているのである。

ここ数年やっと、トランスジェンダーであること自体に注目するのではなく、たまたまトランスジェンダーである人をその能力に応じて起用するメディアが出始めている。こうした動きがさらに広まっていくことが望ましい。
-----------------------

三橋さんが言及された1990年代における性同一性障害の「発見」は、個人的によく覚えている。

突然メディアに登場するようになったそのことばは、それに該当する人々に対する「腫れ物」に触るかのような、おそるおそるとでも形容すべき扱い、他の性的少数者に対するのとは明らかに異なる扱いを強く印象づけた。

当時はなぜ急にこの人たちだけ扱いが変化したのか、と思ったものだが、三橋さんのお話で、それ以前から欧米ではあったゲイなどの運動が日本ではあまりみられかったために、突然起きた現象のようにみえたことが理解できた。やはり、あれは「変」だったのだ。

一方で、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者を「笑い者」扱いする風潮が現在に至るまで続いていることも、違和感に輪をかける。ダブルスタンダードであるとする三橋さんの指摘は正鵠を射ている。

ちなみに、朝日新聞の記事データベースで「性同一性障害」ということばの初出を調べたら、1997年のこの記事だった。上記の変化は医学界主導だったわけで、当然この裏にはそれよりずっと前から世界では進んでいた動きがある。

日本では医学界がまっさきに(世界的には遅ればせながら)それを取り入れたということなのだろう。これとて三橋さん的には、「治療」を要する「病」であるというとらえ方自体がおかしいということになるのだろうが。

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性転換手術を認める指針案 精神神経学会
朝日新聞1997年05月25日朝刊
日本精神神経学会は二十四日、都内で特別委員会(委員長、山内俊雄・埼玉医大教授)を開き、治療の最終的な手段として性転換手術を条件付きで認める診断と治療の指針案をまとめた。
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「トランスジェンダー」の初出は1993年の新刊書籍紹介記事。次いで1997年に週刊誌「AERA」でトランスジェンダーの記事が出ている。

このあたりも含め、LGBTに対する「腫れ物」的扱いは、それが一種の「舶来」(そこには「より優れた、取り入れるべきもの」というニュアンスが込められている)文化として取り入れられていると解すれば、自然に理解できる。

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男でもなく女でもなく 蔦森樹著(新刊抄録)
1993年11月21日 朝刊
「性別」の境界を越える 米国の「トランスジェンダー」最前線
1997年06月09日 週刊アエラ
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「性転換」となるとぐっと古くなって、1921年のこの記事が初出だ。広島県で女性として育てられたインターセックスの方が女性となる手術を受けたというもの。

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手術で女となる 男女両性の患者
1921年10月9日 東京/朝刊
-----------------------

「女装」の初出は1881年(明治14年)で朝日新聞創刊(1879年)の直後、それ以降も数多くの記事があってさして珍しくもない。そもそもこの時代は花見の際に変わった服装をすることがいわば定番となっていて、男性が女装したり女性が男装したりすることがよくあったようだ。

それで、以下の記事によると1890年(明治23年)に取り締まる方針が出たものの効果がなく、1898年(明治31年)に取り締まりが強化される方針が出された、ということらしい。

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異形異風の取締
1898年(明治31年) 4月 19日
花見熱に浮され異行異風の扮装して見物人の目を驚かさんと種々なる催しに及ぶ卒八、出目助黨の多き由ハ別項にも見えたるが其の筋にてハ観花又たハ運動會を催すもの近来男子にして女装をなし女子にして男装をなし及び異形、異風の体を装ふハ去る二十三年發布の警視令に依り相當処分に及ぶべき筈の所取締り稍や寛やかになりし為め續々此の異行異風を装ふもの増加し來たりたる傾向き有るに就きこの際十分取締りを為すべき旨今度警視
廳より府下各警察署へ訓令ありしと我れ面白の人騒がせ興に乗じて異な事を遣過さバ忽ち意外だ辛き目を見るに至るべし
-----------------------

その他の記事も、女装した男性(変性男子と呼ばれていたようだ)が不審なので連行したら泥棒だったという類のものが多く、総じてあまりいい扱いではないが、頻繁に記事が出ているということは、さほど珍しいものではなく、多くの人々が見聞きはしている状態であったともいえるだろう。

性的少数者を異常とみる(当時の)外来の考え方は、それ以前の考え方を完全には上書きできなかったようだ。

「オネェ」タレントの人気も、こうした歴史的な背景がある。

三橋さんの著書『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)」にも出てくるが、もともと女装に関しては、ヤマトタケルにまで遡る寛容な文化的土壌や、稚児や陰間などの風習があった。それが明治以降の西洋文化流入で弾圧されながらも姿を変えて生き残り、戦後も主に夜の世界で一定の支持を得てきたのだ。

テレビの普及で発展した芸能界がそれを取り込んだ(芸能界ということであれば、能や文楽、歌舞伎などではもともと男性が女性を演じることが当たり前に受け入れられてきた)わけだが、もともと社会の側にも受け入れる土壌があったということだろう。

「オネェ」タレントが多くその逆――仮に「オニィ」とでも呼んでみる――のタレントが圧倒的に少ないのは、この経緯を踏まえればある程度納得できる。

夜の世界の「顧客」の多くが男性であり、「オニィ」、つまり男性的なふるまいをする女性同性愛者や男装者、女性から男性への転換者などが求められなかったために、有能なタレントを輩出するために必要な人材プールが成立しにくかったのではないか。

この点について三橋さんは、講義が終わった後の雑談で、社会の中に未だに根強く存在する男女差別意識を前提に、「男性から女性に『降りていった』方は許容されるが女性から男性に『上がってきた』方は許容されない」と指摘された。確かにそれもありそうだ。

そうだとすると、世界でも有数とされる、トランスジェンダーに「寛容」な社会であるという現状も、必ずしもよいことばかりとはいえない。

「オネェ」たちが主に夜の世界で活躍したのも「昼の世界」には居場所が得られなかった裏返しという側面があろうし、「夜の世界」に行きたくもなく、「オネェ」タレントたちのように自虐をネタにすることも望まないトランスジェンダーの方々がストレスを感じる状況がまだそこらじゅうに残っていることも否定できない。

そもそも性的少数者自体が多様な人々の集まりであり、「LGBT」はその代表的な一部を挙げたものにすぎない。

LGBTQ、LGBTTなど、4つのカテゴリ以外のものを加えたさまざまなバリエーションがあり、長いものになるとLGBTTQQIAAPのように、もはや覚えることが困難なものすらある。細かく分けていけばもっと長いものも考えられるだろう。

トランスジェンダーに限らず、多様な人々ができる限り自らを抑えつけることなく過ごしていける社会へ変えていくためには、政府や企業だけでなく、私たち自身が変わらなければならない部分も多々ある。

多くの日本人にとって身近なオネェタレントたちは、私たちにそのことを気づかせてくれるきっかけになるだろうか。

ただ笑い者にするのではなく、また腫れ物に触るように過剰な気遣いをするのでもなく、同じ社会を生きる者として自然にその存在を受け止めることができるようになるだろうか。

今はまだそこまで行っているようには思えないが、少しずつ変わりつつあるようにも感じている。

トリックスターは、神話や物語の中ではしばしば、「善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つ」(Wikipedia)存在として描かれる。

既存の秩序に従わず、世界を引っ掻き回す厄介者でありつつ、ときに鋭い発言で物事の本質を突いてみせたりして、大きな変化や進歩をもたらす触媒的役割をも果たす。

メディアにおけるオネェタレントを含むトランスジェンダーの扱いは、腫れ物と笑い者、男と女、道化と賢者などの二面性を持つという意味で、まぎれもなくトリックスターであった。

しかしもしそれが、そうせざるを得なかった、それ以外に道がなかったということであれば、望ましい状況とはいえない。

こうした人々が、その外見や立ち居振る舞いの「異様さ」ではなく(自らそれを売り物にしたい場合を除いて)、その能力と意志によって適切な活躍の場を、メディアや芸能、あるいは夜の世界だけでない、社会の幅広い場において、得られる社会になるといい。

「物語」のエンディングは、トリックスターにとっても「めでたし、めでたし」であってほしいものだ。

2017年07月11日   ハフィントンポスト


トリックスターとしてのトランスジェンダー

2017年07月12日 03時36分11秒 | 障害者の自立

~三橋順子さんのお話を聞いて~

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」のゲスト講師による講義の3回目は、性社会・文化史研究者の三橋順子さんをお迎えした。

今回は都合によりゼミ生のレポートはなし。講義の概要は以下の通り。

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講義の概要

日本のメディアにおけるLGBTの取り上げ方にはいくつもの問題点がある。

そもそも「LGBT」は性的少数者の連帯を指すことばであり、それぞれは本来別々のカテゴリに属する。したがって「LGBT女性」「LGBT男性」といった表現は誤用である。

日本のメディアではトランスジェンダー、特に性同一性障害(GID)の扱いが他の3つのカテゴリや非GIDと比べて大きい、ゲイは実態と異なり過剰に女性らしさを強調する、レズビアンやバイセクシャルはほとんど取り上げられないなど、取り上げられ方に偏りがみられる。

この背景にあるものの1つは、日本のメディア、特にテレビにおける、いわゆる「オネェ」タレントの人気である。

おかま、ニューハーフ、Mr.レディその他、次々と新たな呼び名が作られ拡張解釈が行われてきたこのカテゴリには、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者などが含まれ、こうした属性を持つタレントたちは、男性優位の秩序が支配するメディア空間におけるある種の「トリックスター」として独自の立ち位置を占めてきた。

しかしその一方で、1990年代以降、性同一性障害がたびたびメディアで取り上げられるようになる。体の性と心の性が異なる人々を配慮すべき対象として「発見」したことは、同時にそれを治療すべき「病」と位置付けたことでもあった。

本来、男女は厳密に区分できるものではなく、多様なあり方があってしかるべきなのに、いずれか一方に属することのみを「正常」と決め、それに合わないものを「障害」とし、「治療」と称して体か心のいずれかを変えることを求めるという点では、望ましい状態とはいえない。

奇妙なことに、トランスジェンダーに対するこの2つの相矛盾する取り扱いは、日本のメディアにおいては何の問題意識もなく共存している。

報道番組やドキュメンタリー番組では、LGBTや「性同一性障害者」の人権擁護を主張する一方で、バラエティ番組では平然と「おかま」を笑い物にするダブルスタンダードが横行しているのである。

ここ数年やっと、トランスジェンダーであること自体に注目するのではなく、たまたまトランスジェンダーである人をその能力に応じて起用するメディアが出始めている。こうした動きがさらに広まっていくことが望ましい。
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三橋さんが言及された1990年代における性同一性障害の「発見」は、個人的によく覚えている。

突然メディアに登場するようになったそのことばは、それに該当する人々に対する「腫れ物」に触るかのような、おそるおそるとでも形容すべき扱い、他の性的少数者に対するのとは明らかに異なる扱いを強く印象づけた。

当時はなぜ急にこの人たちだけ扱いが変化したのか、と思ったものだが、三橋さんのお話で、それ以前から欧米ではあったゲイなどの運動が日本ではあまりみられかったために、突然起きた現象のようにみえたことが理解できた。やはり、あれは「変」だったのだ。

一方で、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者を「笑い者」扱いする風潮が現在に至るまで続いていることも、違和感に輪をかける。ダブルスタンダードであるとする三橋さんの指摘は正鵠を射ている。

ちなみに、朝日新聞の記事データベースで「性同一性障害」ということばの初出を調べたら、1997年のこの記事だった。上記の変化は医学界主導だったわけで、当然この裏にはそれよりずっと前から世界では進んでいた動きがある。

日本では医学界がまっさきに(世界的には遅ればせながら)それを取り入れたということなのだろう。これとて三橋さん的には、「治療」を要する「病」であるというとらえ方自体がおかしいということになるのだろうが。

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性転換手術を認める指針案 精神神経学会
朝日新聞1997年05月25日朝刊
日本精神神経学会は二十四日、都内で特別委員会(委員長、山内俊雄・埼玉医大教授)を開き、治療の最終的な手段として性転換手術を条件付きで認める診断と治療の指針案をまとめた。
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「トランスジェンダー」の初出は1993年の新刊書籍紹介記事。次いで1997年に週刊誌「AERA」でトランスジェンダーの記事が出ている。

このあたりも含め、LGBTに対する「腫れ物」的扱いは、それが一種の「舶来」(そこには「より優れた、取り入れるべきもの」というニュアンスが込められている)文化として取り入れられていると解すれば、自然に理解できる。

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男でもなく女でもなく 蔦森樹著(新刊抄録)
1993年11月21日 朝刊
「性別」の境界を越える 米国の「トランスジェンダー」最前線
1997年06月09日 週刊アエラ
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「性転換」となるとぐっと古くなって、1921年のこの記事が初出だ。広島県で女性として育てられたインターセックスの方が女性となる手術を受けたというもの。

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手術で女となる 男女両性の患者
1921年10月9日 東京/朝刊
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「女装」の初出は1881年(明治14年)で朝日新聞創刊(1879年)の直後、それ以降も数多くの記事があってさして珍しくもない。そもそもこの時代は花見の際に変わった服装をすることがいわば定番となっていて、男性が女装したり女性が男装したりすることがよくあったようだ。

それで、以下の記事によると1890年(明治23年)に取り締まる方針が出たものの効果がなく、1898年(明治31年)に取り締まりが強化される方針が出された、ということらしい。

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異形異風の取締
1898年(明治31年) 4月 19日
花見熱に浮され異行異風の扮装して見物人の目を驚かさんと種々なる催しに及ぶ卒八、出目助黨の多き由ハ別項にも見えたるが其の筋にてハ観花又たハ運動會を催すもの近来男子にして女装をなし女子にして男装をなし及び異形、異風の体を装ふハ去る二十三年發布の警視令に依り相當処分に及ぶべき筈の所取締り稍や寛やかになりし為め續々此の異行異風を装ふもの増加し來たりたる傾向き有るに就きこの際十分取締りを為すべき旨今度警視
廳より府下各警察署へ訓令ありしと我れ面白の人騒がせ興に乗じて異な事を遣過さバ忽ち意外だ辛き目を見るに至るべし
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その他の記事も、女装した男性(変性男子と呼ばれていたようだ)が不審なので連行したら泥棒だったという類のものが多く、総じてあまりいい扱いではないが、頻繁に記事が出ているということは、さほど珍しいものではなく、多くの人々が見聞きはしている状態であったともいえるだろう。

性的少数者を異常とみる(当時の)外来の考え方は、それ以前の考え方を完全には上書きできなかったようだ。

「オネェ」タレントの人気も、こうした歴史的な背景がある。

三橋さんの著書『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)」にも出てくるが、もともと女装に関しては、ヤマトタケルにまで遡る寛容な文化的土壌や、稚児や陰間などの風習があった。それが明治以降の西洋文化流入で弾圧されながらも姿を変えて生き残り、戦後も主に夜の世界で一定の支持を得てきたのだ。

テレビの普及で発展した芸能界がそれを取り込んだ(芸能界ということであれば、能や文楽、歌舞伎などではもともと男性が女性を演じることが当たり前に受け入れられてきた)わけだが、もともと社会の側にも受け入れる土壌があったということだろう。

「オネェ」タレントが多くその逆――仮に「オニィ」とでも呼んでみる――のタレントが圧倒的に少ないのは、この経緯を踏まえればある程度納得できる。

夜の世界の「顧客」の多くが男性であり、「オニィ」、つまり男性的なふるまいをする女性同性愛者や男装者、女性から男性への転換者などが求められなかったために、有能なタレントを輩出するために必要な人材プールが成立しにくかったのではないか。

この点について三橋さんは、講義が終わった後の雑談で、社会の中に未だに根強く存在する男女差別意識を前提に、「男性から女性に『降りていった』方は許容されるが女性から男性に『上がってきた』方は許容されない」と指摘された。確かにそれもありそうだ。

そうだとすると、世界でも有数とされる、トランスジェンダーに「寛容」な社会であるという現状も、必ずしもよいことばかりとはいえない。

「オネェ」たちが主に夜の世界で活躍したのも「昼の世界」には居場所が得られなかった裏返しという側面があろうし、「夜の世界」に行きたくもなく、「オネェ」タレントたちのように自虐をネタにすることも望まないトランスジェンダーの方々がストレスを感じる状況がまだそこらじゅうに残っていることも否定できない。

そもそも性的少数者自体が多様な人々の集まりであり、「LGBT」はその代表的な一部を挙げたものにすぎない。

LGBTQ、LGBTTなど、4つのカテゴリ以外のものを加えたさまざまなバリエーションがあり、長いものになるとLGBTTQQIAAPのように、もはや覚えることが困難なものすらある。細かく分けていけばもっと長いものも考えられるだろう。

トランスジェンダーに限らず、多様な人々ができる限り自らを抑えつけることなく過ごしていける社会へ変えていくためには、政府や企業だけでなく、私たち自身が変わらなければならない部分も多々ある。

多くの日本人にとって身近なオネェタレントたちは、私たちにそのことを気づかせてくれるきっかけになるだろうか。

ただ笑い者にするのではなく、また腫れ物に触るように過剰な気遣いをするのでもなく、同じ社会を生きる者として自然にその存在を受け止めることができるようになるだろうか。

今はまだそこまで行っているようには思えないが、少しずつ変わりつつあるようにも感じている。

トリックスターは、神話や物語の中ではしばしば、「善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つ」(Wikipedia)存在として描かれる。

既存の秩序に従わず、世界を引っ掻き回す厄介者でありつつ、ときに鋭い発言で物事の本質を突いてみせたりして、大きな変化や進歩をもたらす触媒的役割をも果たす。

メディアにおけるオネェタレントを含むトランスジェンダーの扱いは、腫れ物と笑い者、男と女、道化と賢者などの二面性を持つという意味で、まぎれもなくトリックスターであった。

しかしもしそれが、そうせざるを得なかった、それ以外に道がなかったということであれば、望ましい状況とはいえない。

こうした人々が、その外見や立ち居振る舞いの「異様さ」ではなく(自らそれを売り物にしたい場合を除いて)、その能力と意志によって適切な活躍の場を、メディアや芸能、あるいは夜の世界だけでない、社会の幅広い場において、得られる社会になるといい。

「物語」のエンディングは、トリックスターにとっても「めでたし、めでたし」であってほしいものだ。

2017年07月11日   ハフィントンポスト