ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者殺傷事件 被告「措置入院中はおとなしく取り繕った」

2017年07月28日 23時49分14秒 | 障害者の自立

相模原市の知的障害者施設で46人が殺傷された事件から26日で1年となり、殺人などの罪で起訴された施設の元職員、植松聖被告は障害者への差別的な発言を繰り返したことなどから強制的に入院させる措置入院となったことについて、「障害者の殺害計画を実行するため退院できるよう、おとなしくして取り繕った」と供述していることが捜査関係者への取材でわかりました。

この事件は去年7月26日の未明、相模原市緑区の知的障害者の入所施設「津久井やまゆり園」で入所していた障害のある人たちが次々に刃物で刺されて19人が殺害され27人が重軽傷を負ったもので、元職員の植松聖被告(27)が殺人などの罪で起訴されています。

事件の5か月前の去年2月、障害者の殺害計画を記した手紙を衆議院議長に渡そうとした植松被告に対し、強制的に入院させる措置入院の対応が取られました。
入院中、植松被告は医療関係者に対して興奮した状態で計画を説明したということですが、途中から落ち着いた様子になり、10日余りたって措置入院は解除されました。

この時の状況について植松被告は「障害者の殺害計画を実行するため退院できるよう、おとなしくして取り繕った」と供述していることが捜査関係者への取材でわかりました。
さらに「国が計画を認めてくれないことがわかったので、自分で実行しようと決意した」と供述しているということです。

退院後、植松被告は当面の資金を得るために生活保護を申請するなど、計画への準備を進めていったと見られています。
現在、準備が進められている裁判では、植松被告が差別的な思想を持つに至った経緯や殺意を固めたきっかけなどについて明らかにされるものと見られます。

生活保護申請時の被告の様子

殺人などの罪で起訴された施設の元職員、植松聖被告(27)は、事件の前の去年2月に施設を退職したあと、相模原市役所に生活保護を申請していました。
そのうえで事件への準備を進めていたものと見られます。
市の担当者によりますと、植松被告は、知的障害者施設「津久井やまゆり園」を、去年2月に退職したあと、3月末に1人で市役所の窓口を訪れ、生活保護を受けたいと申し出たということです。

この際植松被告は、窓口の職員に対して「仕事が無く、貯金も使ってしまい、生活費が無い」などと説明したということです。
その数日後担当者が手続きのために自宅を訪問した際、仕事を辞めた理由をたずねたところ「植松被告は、『同僚とトラブルがあって、辞めざるをえない状況になった。同僚にないがしろにされているようで、悔しかった。辞めざるをえない状況に陥れた人たちは許せない』などと話していた」ということです。

また市の担当者は、植松被告の印象について「ごく普通の今どきの若者という感じで、ほとんど印象にも残っていませんでした。事件後の発言を聞いていると、当時全くそんな感じはしませんでした」と話していました。
 
7月26日   livedoor

障害者団体が横浜で集会 ともに生きる社会実現訴え

2017年07月28日 23時42分23秒 | 障害者の自立

相模原市の知的障害者施設で46人が殺傷された事件から1年となる26日、全国の障害者団体が横浜市で集会を開き、障害で分け隔てずにともに生きる社会の実現を訴えました。

神奈川県の障害者団体が全国に呼びかけて開かれた集会には、およそ300人が集まりました。

集会では、筋力が徐々に衰える難病がある見形信子さんが、亡くなった19人のために作った歌「19の軌跡(きせき)」を歌い、「僕らの軌跡(あしあと)消さないで、19の強さみつめてよ」と参加者と合唱しました。

そして脳性まひの岩切玄太さんが「私は、健常者と同じ学校に通ったことで出会いを広げた。生きたいように生きられる社会であるべきだ」とみずからの経験を語りました。

また統合失調症がある尾山篤史さんは「精神障害者が、自宅から出ずに暮らさなくてはならないようでは、地域の住民とは言えない」と話しました。

そのうえで、障害で分け隔てずにともに生きる社会の実現を訴えるアピール文を採択しました。

参加した脳性まひの男性は「事件のことを忘れないとともに日常生活の中に障害者がいることが当然という社会になってほしい」と話していました。

7月26日   NHK


知的障害者に不妊手術 開示記録で裏付け

2017年07月28日 03時30分44秒 | 障害者の自立

旧優生保護法

 障害者や遺伝性疾患を持つ人の不妊手術や中絶を認めていた旧優生保護法を巡り、宮城県在住の知的障害を持つ60代女性が強制的不妊手術を受けたことを示す記録が、情報開示請求で見つかった。障害者の不妊手術の証言が公的文書で裏付けられるのは初めて。26日に同県内で記者会見した女性の義理の姉は「手術で多くの人の心身が傷ついた。これ以上、障害者がおろそかにされることがあってはならない」と訴えた。

  不妊手術の記録を前に会見する当事者の女性(奥)と義理の姉。「妹は日常的に腹痛を訴えていた」と証言する=宮城県庁で2017年7月26日
 
毎日新聞   2017年7月26日

消えぬ障害者への偏見 「優生思想」とどう向き合う?

2017年07月28日 03時17分11秒 | 障害者の自立

 「あなたたちの子供は社会の役に全く立っていません。権利を主張する前に、たくさんの税金を使ってしまっていることを謝ってください」

 知的障害の子供を持つ親の団体などからなる「全国手をつなぐ育成会連合会」には事件後、300件を超す手紙やメール、電話が寄せられた。連合会の久保厚子会長によると、冒頭の手紙の文言のように、寄せられた声の1割くらいが植松聖被告の“優生思想”に共感する内容だったという。

 植松被告が精神疾患で措置入院していたことから、偏見は精神障害を持つ人たちへも向けられた。精神疾患を持つ当事者の団体「全国『精神病』者集団」の桐原尚之氏は「事件後、近所から犯罪者に思われると親が自分を医療保護入院にしてしまった、などの相談が寄せられた」と明かす。

 こうした偏見とどう向き合えばよいのか。久保会長は「表に出さなくても、多くの人は障害者は自分たちと違うという認識がある」と推察し、障害は良くないもの、という意識が自分の中にあることを自覚することが大事だと指摘する。

 精神科医療に詳しい長谷川利夫杏林大教授は「障害者はいなくなればいいと思うことと実際に行動することの間には壁がある。思うことを許さない社会もまた生きづらいのではないか」と話す。桐原氏は「障害者は死んだ方がいいという言説は、健常者側が付き合うことを諦めたときに発するものだ。どんな感情をもっても自由だが、付き合うことをやめないことが必要だ」と訴えている。

多くの入所者らが殺害され、負傷する事件があった知的障害者施設「津久井やまゆり園」=2016年7月26日、相模原市緑区

多くの入所者らが殺害され、負傷する事件があった知的障害者施設「津久井やまゆり園」ー2016年7月26日、相模原市緑区

2017.7.25    産経ニュース


本当の意味の「障ガイ者」を見せたい だから、僕は走る

2017年07月28日 03時01分00秒 | 障害者の自立

 「障害者」とは、「自分自身」とは何なのか――。そんな問いと向き合い、走り続ける男性がいる。矢野慎太郎さん(48)。きっかけは、1年前に相模原市で障害者19人が殺害された事件だった。「自分はかわいそうな存在なのか」。その答えを見つけたいと思っている。

 矢野さんの手足は、脳性まひの影響で硬直している。動きはゆっくりで、話す言葉もはっきりしない。

 21歳の時、友人とともに障害者がリングに立つプロレス団体「ドッグレッグス」を立ち上げた。仕事をしながら「サンボ慎太郎」の名で約25年もリングに立ち、障害者や健常者のレスラーと熱戦を繰り広げてきたのは、「互いを知るきっかけがあれば、障害者と健常者はもっと近づける」という思いからだった。

 現在は東京都内の自宅で両親と暮らし、週に5日、都内の病院でパートの清掃員として働く。

 朝5時半に起き、約1時間かけて電車で通勤。午前9時から午後5時まで、病院の食堂や階段の掃除、ゴミの分別を担当する。月給は12万円ほど。休日はボクシングジムで体を鍛える。

 病院で働き始めた当初、動作がぎこちない矢野さんと患者との間で接触事故があっては危険という配慮から、屋外での作業が多かった。「本人の努力もあり、今は院内の掃除も任せられるようになった」と職場の上司は言う。医師や看護師に大きな声で話しかけ、職場の仲間との飲み会にも積極的に出席する。

 そんな日常の中、あの事件が起きた。昨年7月26日。障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、元職員の男が逮捕された。

 「障害者はかわいそう」「生きていても無駄だ」。その日の勤務後、男がそう供述しているとニュースで知り、ショックを受けた。ほぼ毎日思いをつづっているフェイスブック(FB)にこう書き込んだ。

 《今日の仕事は終了しました。けれども今朝の相模原のニュースは悲しいです。弱い人間(ひと)な矢野慎太郎及びサンボ慎太郎けれども これからどこまで出来るか自分自身も判(わか)んないけれども これからも自分らしく生きて そして本当の意味の「障ガイ者」も見せたいです》

   写真・図版        写真・図版

矢野さんが勤務先で毎日つける「清掃日誌」。朝から夕方まで、分単位での仕事内容を丁寧に書き込んでいる   仕事帰りに多摩川の土手を走る矢野慎太郎さん

2017年7月26日   朝日新聞