悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

紫式部集051 春になり

2006-06-04 04:35:00 | 紫式部集
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春になり喪中の家を訪ね来る?
いったいどんな鶯なのよ!   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=年が変わって(長保四年)、門は開いたかな、などと懲りない男がまた来た。喪中を知っていてわが家を訪ねてくる鶯(浮気男)は、どのあたりから来たの(誰が手引きして)? ずうずうしいにも、ほどがあるわ。夫の死、長保三年(1001)四月二十五日から一年間は、妻紫の服喪期間である。長保(ちょうほう)は一条天皇期。
 ¶霞に閉づる=喪中で自宅に閉じこもっている。
□紫051:たがさとの はるのたよりに うぐひすの
      かすみにとづる やどをとふらむ
□悠051:はるになり もちゅうのいえを たずねくる?
      いったいどんな うぐいすなのよ!

紫式部集050 帰京して

2006-06-03 05:05:00 | 紫式部集

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帰京してはっきり知ったことでしょう
かどの固さと浮かれた気持ち   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=男の恨み節への「返り事」。故郷の京都へ戻って、よく分かったでしょう。岩のように固い私の心に、あなたの浮わついた波をぶつけても、びくともしないのですよ。
 ¶かへりては=「(都へ)帰り」「(波が)返り」と掛ける。
 ¶岩かど=「(海中の)岩角」「(私の家の)岩(のように固い)門」。
□紫050:かへりては おもひしりぬや いはかどに
      うきてよりける きしのあだなみ
□悠050:ききょうして はっきりしった ことでしょう
      かどのかたさと うかれたきもち

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○資料(夕刊「いわき民報」2004年06月04日、「心の時代と科学」第3回所載)
「紫式部『心』の歌 -自己へのまなざし-」いわき明星大学教授 斎藤正昭

 寄せては返す波のように、『源氏物語』ブームと呼ばれる現象は間断なく訪れている。千年以上も昔に書かれた、この虚構の物語が、なぜ現代も我々の心を引き付けて止まないのか。その答えの一つは、作者紫式部自身の心の在りように由来する。我が国屈指の物語作家は、誰よりも深く厳しく冷静に、自己の心を見つめ続けた女性でもあった。
 紫式部の三代前の祖先は当時、教養人として名高かった堤中納言藤原兼輔である。彼が娘桑子を思って詠んだ和歌、
    人の親の 心は闇に あらねども 
    子を思ふ道に 惑ひぬるかな  (『大和物語』)
は、広く世に知られていた。「心の闇」という言葉は、近年、少年犯罪等のキーワードとして、安易に使用され過ぎている感があるが、ここでは、我が子への情愛のため理性を失う親の心情を表している。この曽祖父の歌を紫式部は深く心にとどめていたらしく、『源氏物語』中、実に二十数箇所で引用している。彼女もまた、肉親への恩愛より生ずる「心の闇」に惑い抜いた人である。
 二十代半ばで紫式部は遠縁の藤原宣孝と結婚、一女賢子をもうけている。しかし、二才にも満たない娘を残したまま、親子ほど年の離れた夫は程なく死去し、紫式部は以後、再婚することなく、娘の成長を見守り続けた。『源氏物語』を執筆し始めたのは、亡夫の一周忌を過ぎた頃と言われている。
 このような境遇の中でも、彼女は常に自己を凝視する理性を持ち合わせていた。そのことを象徴する彼女の歌が残されている。  
    亡き人に かごとをかけて 患ふも
    おのが心の 鬼にやあらむ   (『紫式部集』)[044]
  右の歌の詞書(前書)には、“物の怪”が取り憑いた妻の傍らで、その鬼になった先妻を退散させようとして、夫がお経を読んでいる絵を見て詠んだとある。ここで紫式部は、新妻に取り憑いた“物の怪”を、亡き先妻にかこつけて悩んでいるが実は夫自身の「心の鬼」、すなわち良心の呵責に過ぎないのではないかと断じている。当時、信じられていた“物の怪”を心の持ちようと喝破しているのである。
 しかし、これ程までに合理的な精神の持ち主も、幼子を抱えた自らの将来の不安を思うとき、悩みは尽きなかったようだ。彼女の心の軌跡は、次の歌からも窺われる。  
    数ならぬ 心に身をば 任せねど
    身に 従ふは 心なりけり  (『紫式部集』)[055]
    心だに いかなる身にか 適ふらむ
    思ひ知れども 思ひ知られず  (同)[056]
  ある時は「身」に従い、ある時は「身」に従うのを拒む「心」-紫式部にとってさえ、「心」は不如意なるものにほかならなかったのである。しかし、この二律背反する「心」と「身」の認識の深化は、次なるステップへの足掛かりともなっていった。  
    身の憂さは 心の内に 慕ひ来て
    いま 九重(=宮中)ぞ 思ひ乱るる  (同)[091]
 「身」と「心」の葛藤を抱えながらも、紫式部は彰子中宮への宮仕えを決意。以後、『源氏物語』の完成に向けて邁進することとなる。
 紫式部の家集は、彼女の次のような代表歌で締めくくられている。  
    世の中を なに嘆かまし 山桜
    花見る  程の 心なりせば  [131]
 ひとときは満開の桜の美に酔いしれても、人の世の嘆きが尽きることはない。紫式部が生きた千年の昔も、科学・技術が長足の進歩を遂げた現代においてさえ。

 [  ]内は悠山人補記。
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短歌写真162 紫陽花の-諸兄

2006-06-03 02:20:00 | 短歌写真

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紫陽花の八重咲くごとくやつ代にを
いませわが背子見つつ思はむ  諸兄

○短歌写真、詠む。
○橘諸兄(たちばなのもろえ。684~757)。万葉集巻二十、4448。紫陽花は、原文(万葉仮名)
では「安治佐為」、その左注(さちゅう)に「味狭藍」の用字。「紫陽花」は、もともと中国から伝来した花・字で、「しようか」と写され、「あじさい」とは別物であったようだ。
□あぢさゐの やへさくごとく やつよにを
  いませわがせこ みつつしのはむ
*now playing : Artist=Consort of London|Track=BACH J C - Sinfonia in D Op.3 No. 1*
 http://65.19.173.132:4086


紫式部集049 いままでは

2006-06-02 00:30:00 | 紫式部集

2006-0602-yms049
いままではどんな嵐の時でさえ
こんな仕打ちを受けなかったのに   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=この歌はとくに、前書きがほしい。「門(かど)たたきわづらひて帰りにける人の、つとめて」。紫式部に懸想していた男が、夜中も厭わず彼女の家の門を叩き続けいた。開けてくれる気配がないから、あきらめて明け方帰っていった、という前提か。この間まで筑紫の国司(平王クでは受領=ずりょう)をしていたのだが、強風で波が磯へ寄らない(女を口説き落とせない)などということが、あったろうか(いや、一度もないな)。
 ¶西の海=九州。筑紫。
□紫049:よとともに あらきかぜふく にしのうみも
      いそべになみも よせずとやみし
□悠049:いままでは どんなあらしの ときでさえ
      こんなしうちを うけなかったのに


短歌写真161 The Student

2006-06-02 00:00:00 | 短歌写真
2006-0602-yts161
The Student cried out,
if I bring her red rose,
I'll danse with her.
The Nightingale heard him,
and decided to look for.   悠山人

○短歌写真、詠む。
○英語短歌、第一作。haiku が世界に広まっていることは、よく知られている。tanka は俳句ほどではないが、例えば英語圏だけでも、かなり出版されている。Oscar Wilde の短編《The Nightingale and the Rose》から作歌(参照した原文のURLは下記)。読売新聞5月30日付け、「四季」欄は「ナイチンゲール」。ジュリエットがロミオとの後朝に引き止める、重要な場面を取り上げて、写真も紹介する。マスコミへの登場は、極めて珍しい。
 http://www.eastoftheweb.com/short-stories/UBooks/NigRos.shtml
【写真の技法】実写に、夜鶯(借用)を貼付。

□(大意)赤薔薇を持っていけば、彼女と踊れるんだよ、と、若い学生が叫んだ。夜鶯はそれを聞いて、探してあげようと、心に決めた。
*now streaming : Artist=Zero 7 |Track=Look Up*
 http://64.62.252.130:8010

紫式部集048 あの方が

2006-06-01 06:00:00 | 紫式部集
2006-0601-yms048
あの方が煙となったその日から
塩釜の名が親しくなったわ   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=親しい人(夫)の死を嘆いていたら、たまたま東北の名所の絵をいだいた。そこに塩釜の名を見て、と詞書。後半二句に目が留まったので、少し調べてみた。やはり平王クは、ここを詳論する。
 ¶見し=見た。旺文版古語辞典には、「見る」八義の七番目に「異
 性と関係を持つ。夫婦となる。妻とする。」とあり、用例として源
 氏・桐壺から、「さやうならむ人をこそみめ。」が載る。桐壺のよう
 な、他に比べる人など、決していない、そういう人を妻としたいも
 のだ、というわけだ。
 ¶むつ(睦)まし=後に「睦まじ」。現代では人間関係に使うだけだ
 が、この時代は「慕わしい。なつかしい。」の意にも。この歌と同旨
 に、源氏・夕顔の用例が同辞典にある。
   見し人のけぶりを雲と眺むれば
   夕べの空もむつましきかな
 また平王クは、さらに葵・須磨・明石などから採出する。
 ¶塩釜=宮城県塩釜市。都にも、古くから製塩地として知られる。
 製塩の煙が葬送に繋がる。
○葬送儀礼について。新古今集のときから、葬礼は火葬だけが何回も登場している。詠者である貴族階級には、早くから火葬が普及していたからだが、大多数の庶民・百姓(ひゃくせい)は土葬であった。一般的な常識ではそれでいいのだろうが、浅学の身としては、葬礼史にもう少し集中して関わってみたい、という気持ちがある。
□紫048:みしひとの けぶりとなりし ゆふべより
      なぞむつましき しほがまのうら
□悠048:あのかたが けむりとなった そのひから
      しおがまのなが したしくなったわ

短歌写真160 押しへされ-晶子

2006-06-01 05:50:00 | 短歌写真
2006-0601-yts160
押しへされ野ばらの花はありきとよ
あづけし人にたまふことづて   晶子

○短歌写真、詠む。
○与謝野晶子歌集『常夏』から、晶子自選。
【写真の技法】実写の薔薇は、ほんの微紅。その花の部分に、赤フィルタリング補正。花の部分は、注意深く色域指定する。
○丙戌水無月朔日。写真の日。電波の日。

□おしへされ のばらのはなは ありきとよ
  あづけしひとに たまふことづて
*now streaming : Artist=Mylo |Track=Emotion 98.6*
 http://64.62.252.130:8010