またあの日が巡って来る
4.14 と 4.16 (2016:H28)
あの日から
やがて2年目を迎える
もうと言うべきか
ようやくと言うべきか
と かつて
似たようなフレーズを
並べたことがある
とはいえ
2年は 2年
あの地震から
2年は過ぎた
前の日は
予想だにしなかった
次の前の日 15 日は
もっと想像だにしなかった
後で 前震と本震という
前代未聞かもしれない
ダブルパンチの大地震
しかも
それからの半端ない余震
詳しいことや瑣末なことは
かなり忘れて来たが
でもあの音と揺れと余震と
その他 体感したことは
忘れようとしても
忘れられないだろう
屋根や壁などが壊された後の
言い知れぬ不安感も
私らには 忘れ得ない
安心して住める家と地域
安心して暮らせる年金生活‥
私らの心配と杞憂は
日に日に募っていった
それから月日は幾分過ぎ
私らの屋根や壁は
本当にラッキーなことに
丁度一年後に修復して貰ったが
二年経った現在(4.16) も
仮設住宅やみなし仮設に
やむなく住んでいる人たちが
およそ38000人もおられる
昨日
友人の自宅コンサートに
カミさんと出かけたが
道路から見た限りでは
震災の爪痕はあまり見えなかった
でも 新聞を開くと
そのK 市の大きな施設の修復が
二年かかって済んだと記してある
震災からの復旧や復興には
どうしても濃淡が生じる
阪神淡路大震災でもそう
七年前の東日本大震災でもそう
復興が進んだ地域と
そうでないと地域の差は
かなり大きいようだ
ここ熊本地方でもそうだ
益城町や西原村、南阿蘇村、阿蘇市
御船町や嘉島町、熊本市東部など
地域や建物、家屋によっても
その被害の程度と
復旧や復興の進捗度には
かなりの差がある
◯◯地震 と表記して
どうしても括らざるをえないが
被災者もその中で悩むこともある
うちはこんなに被害に遭ったのに
結構近い親戚の◯◯市は
被害が軽微で‥ 何で? と
自然が相手ではあるけれど
言いにくくもあるが
不公平感のような気持ちも芽生える
また 逆に
うちも被災した 大変だった
と言いながら
ニュースを見ると
二年経っても依然として
復旧や復興が まだ
ほとんど進んでいない地域や
住民の人たちがいる
そんな実情を知れば
被災した現状と大変さを
他の人に訴えることの
後ろめたさの気持ちが生じる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/55/96efd46a054f57dee5d3ae139902d642.jpg)
そんなテーマで 先日
講演をされた先生がおられる
新聞記事にも
その論旨を紹介した新聞記事もある
そう この後ろめたさだ
私が
私らよりもっと酷い状況にある
人たちに対する気持ちは
この後ろめたさだ
被災地に暮らし
お互いに共感しつつも
復旧に違いがある事実
それを補うのが
もしかして
ボランティアや寄付行為
被災地を訪れること
当地の特産物を買うこと
それらのことを通して
被災地に関わったり
被災地を気にかけることが
お互いの後ろめたさを
少しでも解消していくかもしれない
それらの行動により
共感と寄り添い
支援と励ましに
なっていくのかもしれない
熊本地震から二年目の今日
私は 修復した家に居て
預かった赤ちゃんの声を聞きながら
そんなことを考えた
Ps2018.4.16 月曜
4.14 と 4.16 (2016:H28)
あの日から
やがて2年目を迎える
もうと言うべきか
ようやくと言うべきか
と かつて
似たようなフレーズを
並べたことがある
とはいえ
2年は 2年
あの地震から
2年は過ぎた
前の日は
予想だにしなかった
次の前の日 15 日は
もっと想像だにしなかった
後で 前震と本震という
前代未聞かもしれない
ダブルパンチの大地震
しかも
それからの半端ない余震
詳しいことや瑣末なことは
かなり忘れて来たが
でもあの音と揺れと余震と
その他 体感したことは
忘れようとしても
忘れられないだろう
屋根や壁などが壊された後の
言い知れぬ不安感も
私らには 忘れ得ない
安心して住める家と地域
安心して暮らせる年金生活‥
私らの心配と杞憂は
日に日に募っていった
それから月日は幾分過ぎ
私らの屋根や壁は
本当にラッキーなことに
丁度一年後に修復して貰ったが
二年経った現在(4.16) も
仮設住宅やみなし仮設に
やむなく住んでいる人たちが
およそ38000人もおられる
昨日
友人の自宅コンサートに
カミさんと出かけたが
道路から見た限りでは
震災の爪痕はあまり見えなかった
でも 新聞を開くと
そのK 市の大きな施設の修復が
二年かかって済んだと記してある
震災からの復旧や復興には
どうしても濃淡が生じる
阪神淡路大震災でもそう
七年前の東日本大震災でもそう
復興が進んだ地域と
そうでないと地域の差は
かなり大きいようだ
ここ熊本地方でもそうだ
益城町や西原村、南阿蘇村、阿蘇市
御船町や嘉島町、熊本市東部など
地域や建物、家屋によっても
その被害の程度と
復旧や復興の進捗度には
かなりの差がある
◯◯地震 と表記して
どうしても括らざるをえないが
被災者もその中で悩むこともある
うちはこんなに被害に遭ったのに
結構近い親戚の◯◯市は
被害が軽微で‥ 何で? と
自然が相手ではあるけれど
言いにくくもあるが
不公平感のような気持ちも芽生える
また 逆に
うちも被災した 大変だった
と言いながら
ニュースを見ると
二年経っても依然として
復旧や復興が まだ
ほとんど進んでいない地域や
住民の人たちがいる
そんな実情を知れば
被災した現状と大変さを
他の人に訴えることの
後ろめたさの気持ちが生じる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/55/96efd46a054f57dee5d3ae139902d642.jpg)
そんなテーマで 先日
講演をされた先生がおられる
新聞記事にも
その論旨を紹介した新聞記事もある
そう この後ろめたさだ
私が
私らよりもっと酷い状況にある
人たちに対する気持ちは
この後ろめたさだ
被災地に暮らし
お互いに共感しつつも
復旧に違いがある事実
それを補うのが
もしかして
ボランティアや寄付行為
被災地を訪れること
当地の特産物を買うこと
それらのことを通して
被災地に関わったり
被災地を気にかけることが
お互いの後ろめたさを
少しでも解消していくかもしれない
それらの行動により
共感と寄り添い
支援と励ましに
なっていくのかもしれない
熊本地震から二年目の今日
私は 修復した家に居て
預かった赤ちゃんの声を聞きながら
そんなことを考えた
Ps2018.4.16 月曜