愛犬モコの命日に(その2)(2009/5/15の頃)
愛犬・愛猫の看取りについて
初夏の虹色の橋を渡ったモコ(2)
( モコが亡くなった頃の季節の花
2022.5.24 河川敷の栗の花 )
愛犬モコは
乗り物大好きの優しい柴犬だった
5月15日は かつて我が家で
家族として元気に生活していた
柴犬モコの命日
モコが 生活を共にしていた頃
県北の玉名や山鹿などに
出かけたことがある
道の駅では 外でずっと待って
その近隣を
父さん(私)や母さん(妻)と
散歩したのが楽しい想い出
娘のお稽古事などの送迎では
夜にお母さん(妻)と
助手席に乗り 窓から
クリスマスのイルミネーションを
身を乗り出して眺めたりもした
南阿蘇や白水まで遠出をした事もある
白水水源の水はとても綺麗だった🐕
思い出しきれない程の毎日のお散歩は
父さん母さん達と何度したことか!
(カウントして約1万3千回も⁈ )
我が家に来た生後2ヶ月から
他界した2014年の5月半ばまで
およそ18年も生きた
人なら90歳前後の長寿犬だった
🐶🐕🐕🐕🐕🐕🐶🐕🐕🐕🐕🐶
初夏の今頃になると
モコの最後の姿や葬儀を思い出す
モコは 母さん(私の妻)が
ちょうど孫の世話のため
上京している時(初夏の真夜中)に
亡くなったので 私は一人で
風呂場で 死後の処理をしたり
身体を氷で冷やしたりして
夜明けを待って 妻に連絡をした
妻は急遽帰ることにしたが
幸いにも長女のお陰で
航空席が一つだけゲットできたので
早く帰宅できて 私は安堵した
また 出産半年後の次女も
福岡から駆けつけてくれた
モコを荼毘(だび)に伏すため
車に乗せて駅まで次女を迎えに行き
そのまま お世話になった
動物病院などの近くなどを通り
益城町のペット霊園に向かったが
車好きのモコの思い出話は
尽きることがなかった
そして 霊園に着き係の方に
丁寧に扱っていただき
安心して見送ることができた
ただ 棺(ひつぎ)に入れる時や
火葬のためのボタンを押す時は
亡くなってはいるのに これで
はっきりと生死を分けてしまう、
後戻りはできない と思うと
とても切なくしんどいものがあった
(私ら家族三人は 涙、涙であった)
火葬が終わるまで園の広場で待ったが
窯(かま)の方を見ると
青空の中に やや白い灰色の煙が
静かに細長く立ち上っていて
愛犬モコが 天に登っていくのを
私らは 実感した
さよなら、愛犬モコ‥
いろんな思い出をありがとう!
私ら家族を支えてくれて
本当にありがとう!
さよなら、かすがいのモコ‥
🐕🐕🐕🐕🐶🐕🐕🐕🐕🐶
モコの三回忌(2016年5月)に
見送って貰った霊園で
法要をおこなって欲しいと
その年の春頃に考えていたら
あの熊本地震が4月半ばに起こり
しかも 霊園がある益城町は
震源地であり甚大な被害を受けた
だから 震災の1ヶ月後(5/20) に
ダメ元と思って ほぼ手ぶらで?
霊園を訪ねたら やはりその施設は
あちこちが損傷していたが
何らかの理由で南部の低地よりも
被害が軽くて済んだようで
霊園で案内する方の話では
建物は崩れずに済んだようだ
私は 恐る恐る三回忌のことを
話したら 被災直後にも拘らず
快く法要を引き受けてくださった
位牌にお祈りのお札を貼り
追善のお経などをあげてくださった
霊園の方は
こんな中をわざわざおいでたので
お布施入りませんと
法要の代金はお受け取りにならない
大変済まないと思い
心からお礼の言葉を述べて
霊園を後にしたが
こんな中に 愛犬モコのために
訪ねて良かったと思った
2022.6.13 NHKラジオで
ペットの看取りについて話が。
その中で 「安楽死」のことも
選択肢の一つと考え、
実際にどうしたものかと
悩む人が多いらしい
超高齢の愛犬モコが
目が見えず 聞こえも歩行も
困難になった晩年に
夜鳴きまで加わり その介護は
体力気力とも消耗して
かなりキツくなったが
「家族としての看取り」ができて
飼い主(親?子?)としての務めは
果たしたような気がする
できたら 愛犬や愛猫にも何らかの
終末の緩和措置がとれたらと思う
今夜は ペットの高齢化による問題を
特集していた(NHKラジオ 6/16 )
ps 2022.5.16 草稿 5.17 追記