ちょっと時間が空いたんで、毎回なかなかおもしろい企画展をおこなう「武蔵野市立吉祥寺美術館」を訪問
吉祥寺の駅からごちゃごちゃしたハーモニカ横丁を抜けたところにある、便利な立地にある美術館です。
「風景というあらわれ」と題してのふたりの画家の風景画を見比べるような企画展です。
武蔵野市ゆかりの江藤純平氏と大津鎮雄氏の風景の表現・技法・着眼・表現をそれを鑑賞する人にどのように伝えるか・・・
水彩・油彩・スケッチ画など約40点以上の作品を通じて鑑賞する事ができます。
風景画ですから鑑賞する作品に近寄ってじっと見るのではなく、1歩2歩と作品から離れて、全体像から作品をボォ~と眺めるのがいいですよね
作画・技法はもちろん近づかないと見えてきませんが、風景の印象というのは、その雰囲気も含め全体を見渡すことによって拝観するものに大きな感銘を受けるものだと思います。
今回に両氏の作品・作風も風景であったとしても、作風がなんとなく違うのがわかって、これはどこに着眼してどう表現するかで、まったく違うものになります。
「風景画」という写実的な作品であっても、画家によって印象の異なるものになり、ふたりの画家の作品を一同にして見比べもでき、たいへん有意義な鑑賞になりました。
吉祥寺の駅からごちゃごちゃしたハーモニカ横丁を抜けたところにある、便利な立地にある美術館です。
「風景というあらわれ」と題してのふたりの画家の風景画を見比べるような企画展です。
武蔵野市ゆかりの江藤純平氏と大津鎮雄氏の風景の表現・技法・着眼・表現をそれを鑑賞する人にどのように伝えるか・・・
水彩・油彩・スケッチ画など約40点以上の作品を通じて鑑賞する事ができます。
風景画ですから鑑賞する作品に近寄ってじっと見るのではなく、1歩2歩と作品から離れて、全体像から作品をボォ~と眺めるのがいいですよね
作画・技法はもちろん近づかないと見えてきませんが、風景の印象というのは、その雰囲気も含め全体を見渡すことによって拝観するものに大きな感銘を受けるものだと思います。
今回に両氏の作品・作風も風景であったとしても、作風がなんとなく違うのがわかって、これはどこに着眼してどう表現するかで、まったく違うものになります。
「風景画」という写実的な作品であっても、画家によって印象の異なるものになり、ふたりの画家の作品を一同にして見比べもでき、たいへん有意義な鑑賞になりました。
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