3月4日の朝日新聞「オピニオン」に精神科医の斎藤 環氏の「倫理より印象で世間は叩く」という意見が載っていた。
氏の専門は思春期・青年期の精神病理学でオタク研究家として有名であるが、ひきこもり研究の第一人者である。
ネットで検索すると1987年から爽風会佐々木病院勤務、現在同病院診療部長で「内閣府所管社団法人青少年健康センター参与」の肩書きもあるようだ。
記事の内容は、
”ひさびさに「国辱」という言葉を耳にした。バンクーバー五輪スノーボード・ハーフパイプ、国母和宏選手の服装をめぐる騒動である。一連のメディアスクラムめいたバッシングは、かつてのイラク人質事件の騒ぎを彷彿させた。
批判を煽るかのようにテレビで繰り返される「不適切な服装」や記者会見のシーン。すでに行為そのものはきちんと処罰されている(選手村入村式への出席自粛)にもかかわらず、本人に謝罪会見させ、両親や関係者にまで
謝罪のコメントを取りに行くマスコミ。いつものこととはいえ異様な風景だ。
海外では「国母騒動」はおおむね日本のメディアの過剰反応というトーンで報道されている。どうやら国母選手の服装よりも日本人の騒ぎ方のほうが奇異に映ったらしい。「さすが集団主義と同調圧力の国は格が違った」
という、これも一つのステレオタイプには違いないのだが。 ―中略― 品格の問題とは要するに印象の問題だ。世間体とは要するに印象の問題だ。印象に基づくバッシングは倫理の問題を曖昧にする
―中略― 世間は人を罰しない。世間がするのは「気が済む」まで「恥をかかせる」ことだけだ。 ―中略― ”
「世間」とは何だろう。よく使われる言葉だが、あまり学問的に研究されていない。分かったようで分からない、あいまいで得体のしれない「世間」について一番詳しく分析した学者は、元一橋大学長の阿部謹也氏だろう。

阿部謹也氏の著書
この「世間と何か」については、この記事世間と何かが詳しい。
今回の騒動で、阿部氏の著作「日本社会で生きること」の書評に作家の久間十議氏が書いていた「教科書は近代的自我や人権擁護を教えるが、実社会の経験はすぐに私たちにタテマエの学校教育と違う
「世間」という伝統的な縛りに個々人が生きている事実を知らしめるのである。」という一節をを思い出した。
氏の専門は思春期・青年期の精神病理学でオタク研究家として有名であるが、ひきこもり研究の第一人者である。
ネットで検索すると1987年から爽風会佐々木病院勤務、現在同病院診療部長で「内閣府所管社団法人青少年健康センター参与」の肩書きもあるようだ。
記事の内容は、
”ひさびさに「国辱」という言葉を耳にした。バンクーバー五輪スノーボード・ハーフパイプ、国母和宏選手の服装をめぐる騒動である。一連のメディアスクラムめいたバッシングは、かつてのイラク人質事件の騒ぎを彷彿させた。
批判を煽るかのようにテレビで繰り返される「不適切な服装」や記者会見のシーン。すでに行為そのものはきちんと処罰されている(選手村入村式への出席自粛)にもかかわらず、本人に謝罪会見させ、両親や関係者にまで
謝罪のコメントを取りに行くマスコミ。いつものこととはいえ異様な風景だ。
海外では「国母騒動」はおおむね日本のメディアの過剰反応というトーンで報道されている。どうやら国母選手の服装よりも日本人の騒ぎ方のほうが奇異に映ったらしい。「さすが集団主義と同調圧力の国は格が違った」
という、これも一つのステレオタイプには違いないのだが。 ―中略― 品格の問題とは要するに印象の問題だ。世間体とは要するに印象の問題だ。印象に基づくバッシングは倫理の問題を曖昧にする
―中略― 世間は人を罰しない。世間がするのは「気が済む」まで「恥をかかせる」ことだけだ。 ―中略― ”
「世間」とは何だろう。よく使われる言葉だが、あまり学問的に研究されていない。分かったようで分からない、あいまいで得体のしれない「世間」について一番詳しく分析した学者は、元一橋大学長の阿部謹也氏だろう。

阿部謹也氏の著書
この「世間と何か」については、この記事世間と何かが詳しい。
今回の騒動で、阿部氏の著作「日本社会で生きること」の書評に作家の久間十議氏が書いていた「教科書は近代的自我や人権擁護を教えるが、実社会の経験はすぐに私たちにタテマエの学校教育と違う
「世間」という伝統的な縛りに個々人が生きている事実を知らしめるのである。」という一節をを思い出した。