今年の4月末に蔦屋重三郎を主人公とした2025年のNHK大河ドラマの発表がありました。
NHKの発表の中で、脚本家の森下桂子氏の記事を読むと、松平定信や東洲斎写楽もかなり重要な
役割を担うことが想定されます。
ところで、写楽は1794年に突然登場してくるのですが、蔦屋重三郎がどうして写楽を見つける
ことが出来たのかという疑問があります。
国学者の村田春海(1746年~1811年)の隣に阿波藩の能役者斎藤十郎兵衛が住んでいた
こと、また、十郎兵衛之の息子が村田春海の養女・村田多勢子の養子になっていることが分かって
います。
この村田春海、若い頃は吉原を賑わしていたことでも有名です。また、「NPO法人写楽の会」の
花岡さんが村田春海は、1780年頃に吉原の遊女(後の正妻おすが)身請けし、その頃、干鰯問屋
の株を手放し、質両替の居屋敷を売り渡していることを調べています。これらのことから、吉原育ち
の蔦屋重三郎が写楽=斎藤十郎を知ったのは、村田春海からの繋がりではないかと考えられます。
村田春海は、賀茂真淵 門下で県居学派四天王の一人で、松平定信の庇護も受けているほどの人物で
すが、一般にはあまり知られていません。しかし、実は、世俗に長けたなかなか魅力ある人だと思わ
れるので、大河ドラマに是非登場させて欲しいと思っています。
※ 写楽が世に出た1794年
松平定信 35才、写楽=斎藤十郎兵衛31才、蔦屋重三郎44才、村田春海48才