観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

風の強い日のトラツグミ

2010年03月11日 | 野鳥
この日は風は強かったが、寒くはなかった。
その証拠写真(寒いかどうかは分からないが、天気が良いのは分かる)




ここのトラツグミ、当方がじっとしてると近くまで来てくれるのでうれしい。しかし、そのうちこちらの方が飽きてくる。
(そんことではと罰が当たったのか、お目当ての野鳥には出会わなかった。)

赤い花白い花

2010年03月09日 | 日記
このところ真冬に舞い戻りしたかのような寒さだ。本県も西部では雪が降っているようだ。
明日も雨または雪の予報が出てるが、雪なら通勤が心配だ。
日曜日することないので、庭を見てたらこんな寒空でもちゃんと花は咲いている。
私の花と知らない花

    
家人によると庭師さんから良いボケだと言われたらしい。(私が褒められた)


この時期に咲いているようだが、名前も知らない。


面白かった生き物?

2010年03月07日 | 日記
最近4回続けてお目当ての野鳥が空振りに終わった。もういなくなったのだろうか。
キクイタダキがいたときは他にもカメラマンはいたけど、今は誰もいない。でもトラツグミがお相手をしてくれからまあいいか。
そろそろ、ここもあきらめてタカの渡りでも思っていたのだが、生憎土日の天気は雨。
最近面白かったものはこの3つ


ブランコに乗ったら面白いと思っていたら本当に乗ったので、慌ててシャッターを切ったがブレていた。トラツグミが乗っていたのは一瞬。
(園児を遊ばせるために前日に臨時的に作ったようだ。園児が帰った後、取り除いていた。)


水槽の中の魚。後ろは当然本物のシャチではなく書かれた絵。


スッポンのお化けでもガメラでもない。


倫理より印象で世間は叩く

2010年03月06日 | 日記
3月4日の朝日新聞「オピニオン」に精神科医の斎藤 環氏の「倫理より印象で世間は叩く」という意見が載っていた。
氏の専門は思春期・青年期の精神病理学でオタク研究家として有名であるが、ひきこもり研究の第一人者である。
ネットで検索すると1987年から爽風会佐々木病院勤務、現在同病院診療部長で「内閣府所管社団法人青少年健康センター参与」の肩書きもあるようだ。
記事の内容は、
”ひさびさに「国辱」という言葉を耳にした。バンクーバー五輪スノーボード・ハーフパイプ、国母和宏選手の服装をめぐる騒動である。一連のメディアスクラムめいたバッシングは、かつてのイラク人質事件の騒ぎを彷彿させた。
批判を煽るかのようにテレビで繰り返される「不適切な服装」や記者会見のシーン。すでに行為そのものはきちんと処罰されている(選手村入村式への出席自粛)にもかかわらず、本人に謝罪会見させ、両親や関係者にまで
謝罪のコメントを取りに行くマスコミ。いつものこととはいえ異様な風景だ。
海外では「国母騒動」はおおむね日本のメディアの過剰反応というトーンで報道されている。どうやら国母選手の服装よりも日本人の騒ぎ方のほうが奇異に映ったらしい。「さすが集団主義と同調圧力の国は格が違った」
という、これも一つのステレオタイプには違いないのだが。 ―中略―  品格の問題とは要するに印象の問題だ。世間体とは要するに印象の問題だ。印象に基づくバッシングは倫理の問題を曖昧にする
 ―中略― 世間は人を罰しない。世間がするのは「気が済む」まで「恥をかかせる」ことだけだ。 ―中略― ”

「世間」とは何だろう。よく使われる言葉だが、あまり学問的に研究されていない。分かったようで分からない、あいまいで得体のしれない「世間」について一番詳しく分析した学者は、元一橋大学長の阿部謹也氏だろう。


阿部謹也氏の著書

この「世間と何か」については、この記事世間と何かが詳しい。
今回の騒動で、阿部氏の著作「日本社会で生きること」の書評に作家の久間十議氏が書いていた「教科書は近代的自我や人権擁護を教えるが、実社会の経験はすぐに私たちにタテマエの学校教育と違う
「世間」という伝統的な縛りに個々人が生きている事実を知らしめるのである。」という一節をを思い出した。




カイツブリとカンムリカイツブリ

2010年03月04日 | 野鳥

カイツブリ (日本産カイツブリ類では最小で体長26cm)


何だろう 頭に特徴あるが、首が細くて長い。鴨の仲間のウミアイサではないようだ。
(この2枚はノートリミング。1枚目は1月に川で撮影、2枚目は、2月末に海岸で撮影)


少し頭がの形がはっきりしているのを拡大してみると、カンムリカイツブリだ。(日本産のカイツブリでは最大で体長56cm)
前の方は、名前の通りかなり冠がはっきりしてきている。(成長夏羽に近づいている。)

幻の間人ガニⅡ

2010年03月01日 | 旅・風景・グルメ
間人って書いてどうして「たいざ」と読めるのか、バスの中で添乗員さんから説明を受けた。そのときは軽く聞き流していたのだが、どうしても気になるので、ウイキペディアで調べた。
”京都府京丹後市にある「間人(たいざ)」という地名は、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)にちなむものと伝えられている。穴穂部間人皇女は
蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後に身を寄せ、宮に戻る際に自分の名を贈ったが、人々は「皇后の御名をそのままお呼びするのは畏れ多い」として、
皇后が(その地を)退座したことにちなんで「たいざ」と読むことにしたという。”このこてゃ、記紀などの正式な資料には記載されていないらしい。
(欽明天皇の第三皇女で母親は、蘇我稲目の娘の小姉君である。)
”穴穂部間人皇女が用明天皇の皇后であった時に、諸司巡行中、厩の戸口で厩戸皇子(聖徳太子)を難なく出産したという『日本書紀』の逸話は有名であるが、
これは中国に伝来したキリスト教の異端派である「景教」(ネストリウス派)がもたらした新約聖書の福音書にある「キリストの降誕」を元にしたとの説があるなど、史実かどうか疑われている。”
「間人」の説明が少しくどかったが、間人はロケーションもいい。それと雪があるかと思ったが全くなく、しかも前日と違いその日は結構暖かかっので、さらにこの町がよく思えた。


いかにも漁業の町といった風情。


上限200円とはうらやましい。


この旅で唯一嫌だったのがこの光景。風光明媚な日本海の海岸に漂着した漁業関係のゴミである。
近隣国のゴミが多く、沿岸自治体は撤去しても次から次へと流れてくるゴミの処分に困っているらしい。