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真夜中の衝動・・・青葉テイ子

2007年10月02日 | 川柳
現代川柳『泥』第三号 川柳をつくる時どんなことにエネルギーを注いでいるか

 元来怠け者で、あっけらかんと生きている私に、作句上のエネルギーなどは、特にない。

 体の中を表白して自然に生まれる川柳は、感動がベースになって一句が成り立つが、労せずして出来上がったものは、殆どひとりよがりのもので、一人歩きするには到っていない。

 そのため推敲が余儀なくされる。思いをふたたび反芻して、良く噛み、このボキャブラリーが適切か、どうか見きわめながら、とことん推敲を重ねる。

 作句上で大切なことは、感動的な出合いが、どれほどあるかに尽きると思う。

 日常生活の中で、起こり得るさまざまな現象の中で、感情の起伏の激しい私は、人が見過ごしてしまいそうなことに感動することが多い。活字中毒症とも言える私は、就寝前のひととき、その日の気分次第で書架から本を抜き取り、読みふける。

 小説のヒロインの生き方に、涙したり怒ったり、作家の表現方法に心惹かれたり、感動の原点は、本から触発されることが多い。

 川柳・・・この得体の知れぬもの、私の信条とするものは、内面の露呈を恐れず、ほんものを・・・と考えているが・・・はてさて、どれほど本物に近づけるのか。

 真夜中の衝動がふいに訪れて来る時がある。川柳の本が引き金になって、とっぷり川柳
漬けになったとき、不揃いの川柳たちは無尽蔵に生まれる。

 このひとときは、狂の時間とでも名付けようか。

 そして、今一つの提言は、

①いかに常識の壁を破るか。常識という尺度は一定でない。だからこそ、不確かなものの 中にこそ、川柳の真髄が秘められているように思う。

②鋭角に核心を衝く。川柳だけがもつ批判精神は、他の短詩型文学にはない。抒情的なも のを好む精神風土は日本的現象が、その風土があればこそ、批判のアイディンティテ ィがあるのではないか。

 核心を衝く川柳に、人間に対する優しさと、思いやりをベースに置きたい。人間を詠む川柳だからこそ・・・。 

 川柳とは、言葉による抑制の効いたパフォーマンスである。無機質な言葉から放たれる言霊たちへ、いのちを吹き込む作業の、なんと楽しく難しいことだろう。

 1921年、天下の文豪、吉川英二こと雉子郎は、俳句は歳時記があるが、川柳は全宇宙が素材だと提言した。

 混沌とした世相、政治、不確かなものばかりだからこそ、川柳人よ、無限に近い可能性が秘められている川柳、言葉から放たれる言霊たちに触発されながら、自らの思いとクロスさせながら、不確かなもの、不条理なものへ鋭い一矢を向けようではないか。

          日常と非日常を往きつ戻りつしながら・・・・。
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