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川柳批評・・・普川素床

2007年10月29日 | 川柳
          現代川柳『泥』第三号作品より

 (前節)
 川柳の解釈・鑑賞・批評のポジションは二つある。

①裸の作品のみを対象にする場合。

イ、句会の選のときは、作者の作句状況もわからないので、作品も十七文字(音)
  のみが手がかり。読者、選者の想像力、論理力のみが頼りとなる。

ロ、遊(ゆう)誌に「一句解釈」の場は、作者名を伏せて、作品のみを対象にする      ので、句会の選の場と同じ。

②作品以外の情報がある場合

イ、川柳マガジン誌。5、6人の柳人による一作品の作品鑑賞。これは、作者名が事前に  明らかにされている。
  ということは、鑑賞者はありとあらゆる作者情報を調べた上で鑑賞に臨む。
  この場合は情報が多いほうが有利な鑑賞を出来ることが多い。

ロ、公論・朱雀会での鑑賞例

 いくつかの作品のみが提示され、みんなで鑑賞する。
 このとき、次の作品が示された。

            むらさきは放埓の汗 蘭の汗

 参加者は、この句を知っている人と知らない人に分かれた。

一、知らない人の解釈

 むらさき、蘭、から女性か高貴な人と解する。放埓は奔放とかやりたい放題と見る。そ こから、情野千里氏の様なエネルギッシュな女性の、演劇や詩のボクシングなどのパフ ォーマンスと考えた。(一例)

二、知っている人の解釈

 三柳氏の作品であり、宝井其角のことを詠んでいることまで知っている。ここまで情報があると、其角の人生、人物、性格までに及ぶ細かい鑑賞になる。けれども情報を持たない人は、この句から其角だとは考え及びようがないわけです。

 作品・作者情報を知ると知らないでは、鑑賞は全く違ってくる(こともある)ことを理解したい。
 ただ、どっちが正しいかという判断は難しい(保留する)。
ケースにより違う鑑賞が成立することを考慮に入れたい。(各論)
                              続く・・・・。

                  点滴の海の向こうのいくさの火  不凍

 いくさの火僕の点滴で消せますか
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