川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

現代川柳『泥』第三号・・ミミズの考察

2007年10月17日 | 川柳
 この、『泥』三号の奏でる意義は重い。正直言ってこの『泥』誌の山に立ち向かう装備も技術も無いこの私・・であります。

 だが・・しかしです。挑戦の楽しさはプレッシャーが大きければやりがいもあり、やり遂げた後に飲むビールは美味しいと相場が決まっています。決まっている相場なら・・歩まねば!・・進まねば!ところで・・・ビールは飲めない私ですので、川柳人がいつも好んで飲み干す無冠の杯でもかざそうか。

 いざ!登らねば・・・。

             川柳あ・ら・か・る・と

①今を生きる自分になぜ川柳か・・。(語録を拾ってみます。)

             容子・・・ことばの海から

「ことばは人そのもの。人生そのものがことばである。」と言った人がいる。
 突き詰めていくと、自分を探すことであり、また、他者を知ることではないだろうか。

◎私にとって、川柳とは、「ことば」を通じて「自分」を発見することであり、「こと  ば」を通じて「人間」を見詰めることなのである。
 無限の可能性の秘められた川柳の世界でことばを削り、ことばを膨らませ、まさしく
 わたしを削り、わたしを膨らませながら、わたしを磨く小さくて、大きな宇宙なので  はないかと思っている。

            さとし・・・カタルシス

 その時々の、運と気まぐれに支配されながらの生きざま、そして死にざまに及ぶまでの「息継ぎに」、自分にとって川柳は、格好のステージとなっている。
◎すべての行動が、結局川柳に還元されているような気がする。やはりカタルシス。

            テイ子・・・沈黙の中でひらめくもの

◎「慰籍する文芸」川柳がある。全神経を傾斜して吐露した川柳とかかわってきたからこ そ、私は精神の均衡を保って、生きてこられたのだ、と、しみじみおもう。

                          続く・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする