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壁・・・青葉テイ子

2007年10月24日 | 川柳
         現代川柳『泥』第四号   青葉テイ子

 人は生まれてから死を迎えるまでの一生の間に、一体どれほどの見える壁、見えない壁に苛まされながら生きてきたことだろう。

 半世紀にわたって、東西の冷戦が続いたドイツ、そのベルリンの壁が崩壊したのは、1989年11月9日、大衆は熱狂して厚い壁を叩き割っている光景が、メディアを通じて目に飛び込んできたのは、まだ記憶に新しい。

 頑強な鉄のカーテンは、どれほど沢山の人びとのこころを蝕んできたことか。この壁によって、人間はどれほどの悲喜劇を繰り返してきたことか。親子でさえ、いわれなき争いをして血を流してきた。

 壁は、無言で、いつも人間を圧しつづける。

 行動が先行する私は、いつも壁にぶち当たってはじめて痛さを知るという愚行を繰り返して来た。

 しかし、この壁があるからこそ、人は嘆き悲しみ考える。超人的な努力で、それを乗り越えた者のみが知る歓びもある。加齢と共に、壁こそ人生の醍醐味をもたらす要因ではなかろうか、と、最近思いはじめてきた。

 特に見えざる壁こそ、人間の力を強靭なものにする何かが秘められているような気がする。

 素地は、音もなく忍びやかに近づいてくる。

 ゲーテの「ファースト」の中に
 「戦慄は人間のもっとも深い精神の部分だ」と記されているが、その言葉の「深い部分」の精神のありようは一種の快楽にも似ている。酷烈な静寂が、柱にも壁にも侵み通って、人間を冷徹な目で見つめている壁。その壁をぶち破るのも川柳なら、川柳がもたらす壁もある。

 川柳、この一筋縄ではいかぬもの、苦しみ抜いて生まれた一句と対峙する時、無意識の中で念じているカタルシス、ヘドロのような無数の澱みの積み重なりが、いつしか透明なうわ澄みへと変化した時、やっと私は本来の姿を取り戻す。生きるとは苛酷なことの連続だ。奥歯をきりりと噛んだとて、歯の根が合わぬことがままある。

 そんな時、活字に溺れ、とっぷりと音の世界に溺れる。

そして人に出会い、人の情に触れることで癒される。

 人生のターニングポイントをひとつ超えたあたりで再びの壁にぶち当たる。殆どの人がおちる落とし穴だ。

 胸の中に飢餓感が泡立つ壁だ。黙して歩くしかない。

 生きることの狂攔は川柳を産み、やがて鎮まる。清謐なひとときの中で、かけがえのない、狂をいとおしむ。

 私の生のありようを照らし出す壁だからこそ、壁は全も希求する母なる回帰かも知れない。


                泥つきでいい大根も生い立ちも  不凍

大根も生きる 泥つきのいい顔だ
コメント
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