沖で待つ父のなきがら吾のぬけがら 細川不凍
現代川柳「新思潮」のNO82で片山哲郎氏は、この細川不凍氏の作品について「この九月に全身を縦に切り割く大手術をした細川不凍氏であり、介護の手が無ければ生き延びられぬ、ぬけがらのような吾がここにあるという。壮絶な現代川柳の生命である。」と評している。
川柳という作品の核にあるものは、感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動をする表皮的意識の表白ではなく、生き延び永らえるという生命の壮絶な闘いの存在、詩魂の表白が叫びとなって活写されなければならないと思う。
(笑葉・・水脈4月号抜粋)
病みゆるむ桜前線ひきよせて 細川不凍
仕置場のさくらが凛と咲くのです 細川不凍
日々病と闘う不凍氏。激痛と戦いながらも生きようとする、計り知れない精神力を持ち合わせた人である。
少しではあるが激痛から開放されたときは、精神的にもゆとりがでてくるのであろう。
ソメイヨシノのあの見事な開花前線をひきよせる不凍氏のオーラに、明るい兆しが見えてくる。
不凍氏は病魔という、いつ断罪されてもおかしくない仕置場に立たされている。しかしそこには病魔に屈しない「さくら」が慄然として開花しようとしている。
りりしく咲く「さくら」こそ、まさに不凍氏そのものなのだ。
真実の表白は虚を超えて衝迫する。 (笑葉 原流7月号より鑑賞)
新子逝く菜の花畑に子を産んで 細川不凍
ひまわりの首の折れ目の青春忌 細川不凍
八月の廃港 幽霊船が着く 細川不凍(原流・・9月号)
容子氏の「凛としたオーラ」の細川不凍作品鑑賞に、しばらく時間が止まった感の私である。
雪を褥にまぼろしの妻抱きぬ 不凍
大会前にして、この句と容子氏の渾身の文筆力と自分自身の内面と照らし合わせ
私も、画面が真っ白になる句が作りたくて、雪と葛藤することがある。
でも、この句のまぼろしは、まぼろしではなく実在するはずだと勝手に思っている私がいる。
氏の中に存在しないものに、心打たれるはずも無いはずだと思う。
真っ白な画面は、やがてシャガールの絵のような画面を想定させる。
笑顔の美しい明るい女性が見えてくる、真っ白な褥(布団は)は冷たくなんか無い!
雪は、人を選ばずに・・差別しないで風のご機嫌次第で勝手に降って来る。
雪はふたりの温かい羽毛布団に変わる・・・雪はあったかい・・不凍氏のこころの奥底に褥を見たのですか・・・。容子さん。
そんなこんなを考えて「ぬ」止めの句は大きな画面を静かに閉じる効果も発見しました
今まで、中央に作品を発表し続けていた不凍氏だと窺っています。
これからは、原流で魚にでもなって一緒に泳ぎましょうネ!
原流は容子さんも在籍していた結社です。魚の句が上手でしたね。
石室の扉を叩く郵便夫 容子
小春日の産卵ひそと光る刻 容子
あやとりの川に魚きて消えていく 容子(2005・11月号)
母の手の鳴る方へ魚形のおまえ 不凍
酸欠の街を流れる深海魚 私
川柳っていいね!句は生きている!!
現代川柳「新思潮」のNO82で片山哲郎氏は、この細川不凍氏の作品について「この九月に全身を縦に切り割く大手術をした細川不凍氏であり、介護の手が無ければ生き延びられぬ、ぬけがらのような吾がここにあるという。壮絶な現代川柳の生命である。」と評している。
川柳という作品の核にあるものは、感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動をする表皮的意識の表白ではなく、生き延び永らえるという生命の壮絶な闘いの存在、詩魂の表白が叫びとなって活写されなければならないと思う。
(笑葉・・水脈4月号抜粋)
病みゆるむ桜前線ひきよせて 細川不凍
仕置場のさくらが凛と咲くのです 細川不凍
日々病と闘う不凍氏。激痛と戦いながらも生きようとする、計り知れない精神力を持ち合わせた人である。
少しではあるが激痛から開放されたときは、精神的にもゆとりがでてくるのであろう。
ソメイヨシノのあの見事な開花前線をひきよせる不凍氏のオーラに、明るい兆しが見えてくる。
不凍氏は病魔という、いつ断罪されてもおかしくない仕置場に立たされている。しかしそこには病魔に屈しない「さくら」が慄然として開花しようとしている。
りりしく咲く「さくら」こそ、まさに不凍氏そのものなのだ。
真実の表白は虚を超えて衝迫する。 (笑葉 原流7月号より鑑賞)
新子逝く菜の花畑に子を産んで 細川不凍
ひまわりの首の折れ目の青春忌 細川不凍
八月の廃港 幽霊船が着く 細川不凍(原流・・9月号)
容子氏の「凛としたオーラ」の細川不凍作品鑑賞に、しばらく時間が止まった感の私である。
雪を褥にまぼろしの妻抱きぬ 不凍
大会前にして、この句と容子氏の渾身の文筆力と自分自身の内面と照らし合わせ
私も、画面が真っ白になる句が作りたくて、雪と葛藤することがある。
でも、この句のまぼろしは、まぼろしではなく実在するはずだと勝手に思っている私がいる。
氏の中に存在しないものに、心打たれるはずも無いはずだと思う。
真っ白な画面は、やがてシャガールの絵のような画面を想定させる。
笑顔の美しい明るい女性が見えてくる、真っ白な褥(布団は)は冷たくなんか無い!
雪は、人を選ばずに・・差別しないで風のご機嫌次第で勝手に降って来る。
雪はふたりの温かい羽毛布団に変わる・・・雪はあったかい・・不凍氏のこころの奥底に褥を見たのですか・・・。容子さん。
そんなこんなを考えて「ぬ」止めの句は大きな画面を静かに閉じる効果も発見しました
今まで、中央に作品を発表し続けていた不凍氏だと窺っています。
これからは、原流で魚にでもなって一緒に泳ぎましょうネ!
原流は容子さんも在籍していた結社です。魚の句が上手でしたね。
石室の扉を叩く郵便夫 容子
小春日の産卵ひそと光る刻 容子
あやとりの川に魚きて消えていく 容子(2005・11月号)
母の手の鳴る方へ魚形のおまえ 不凍
酸欠の街を流れる深海魚 私
川柳っていいね!句は生きている!!