青瓦台は(チョンファデ)は文字どうり青い瓦の家。大統領の執務するところである。
ソウルの北の方、北漢山に続く低い山並の麓にある。
青瓦台そのものと、その周辺一帯は、厳重な警備のもと、撮影禁止になっているが、
この写真の場所は、観光客サービスの目的で、特別撮影が許可されている。
一帯は非常に美しいところであるが、この場所も、綺麗なところである。
朝鮮総督府
朝鮮総督府は、最初、ソウル南山北麓の、倭城台に建てられました。その後京福宮内に移設する事になり、1916年に着工、1925年に竣工しました。鉄筋5階建て、表面石張りの豪華なもので、ドームと、列柱を有し、ネオルネッサンス様式と賞賛されました。移転の意図は、政治的であり、朝鮮人民の敬愛する、李王朝の権威失墜と、日本政府のの権威高揚にありました。
この建物の罪悪として、後日指摘されているものとして、京福宮の軸本線とのずれ、および、市内を睥睨する、その、異様な外観が挙げられました。
京福宮の軸本線とのずれに関しては、李王朝の王宮と、世宗大路の中心線から、対称軸を、わざとずらし、李王朝の権威を失墜させるものだと言われていますが、朝鮮総督府の建築技師、岩井長三郎が、正面大通りと、京福宮の軸本線とのずれによる、技術的問題であったとも述べています。
朝鮮総督府は、光復(日本の降伏による朝鮮の独立)後も、市内を睥睨し続けてきましたが、その、処置には、諸論がありました。結局、1995年、金泳三大統領が撤去を決断、尖塔部を残して、廃棄しまた。
尖塔部は、現在、忠清南道天安市の韓国独立記念館に移設され、橋の下に置かれて、見学に訪れる人々の足下に踏まれる屈辱に耐えています。↑ (2006.6.23投稿)
この写真は、京福宮の修復工事の際、入口に展示してあった、旧朝鮮総督府の写真です。
醜悪な外観とは似合わず、内部の、大理石の装飾は、まことに見事なものでした。
旧日本軍の負の遺産にも関わらず、取り壊すのはもったいないとの意見や、屈辱の歴史は、
早急に取り払うべきだ、などの意見があり、長いこと議論されましたが、結局、ノ テウ大統
領の決断により、一端は、国立博物館として使用されました。
しかし、次のキム ヨンサン大統領に代わると、一転、取り壊しが決定しました。
工事が、始って見ると、内部の、豪華な大理石の壁は、コンクリートの上に、薄く被せただけ
のものとわかり、韓国国民の、失笑を買ったと言うことです。
mcnjは、当時韓国に駐在していて、たまたま、京福宮を訪れた時、総督府を、取り壊し中でし
た。
現場で拾って持ち帰った、旧総督府のがれきの一部です。