百済は、538年に、それまで都を置いた、公州から、扶餘に都を移します。
その後、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる、660年まで、120年あまり、百済の都として栄えまし
た。
朝鮮半島の中央部を、黄海に向かって流れる錦江(クムガン)の下流域に位置し、広い川幅
に、白砂が連なり、周辺の山々の緑が映る景色は非常に美しく、白馬の様だと誉めたたえ
られ、白馬江(ベンマガン)とも呼ばれています。
川岸にある、扶蘇山は、半月城と呼ばれ、扶餘の鎮山山城となっております。
大変に景色の良いところで、山城内には、数々の百済の遺跡が残されています。
見晴らしの良い所には、楼閣が設けられています。
先端は、断崖絶壁となっており、新羅・唐連合軍に追い詰められた、3000人の女官達が
身を投げた絶壁に建てられた、百花亭もあります。
美しく着飾った女官達が、あたかも、つつじの花びらの様に舞落ちて行くように見えたことか
ら、この絶壁を、落花岩と呼ぶようになりました。
百済は、日本とも関係の深い国でした。
扶蘇山の上から、ベンマガンを見降ろして、舞落ちて行った女官達の心情に、想いを寄せる
のもいいですね。
百花亭。
白馬江
ここが落花岩です。