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韓国文化の紹介。

韓国の散歩道 扶餘(ブヨ)

2009-09-27 00:00:00 | 写真

百済は、538年に、それまで都を置いた、公州から、扶餘に都を移します。

その後、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる、660年まで、120年あまり、百済の都として栄えまし

た。

朝鮮半島の中央部を、黄海に向かって流れる錦江(クムガン)の下流域に位置し、広い川幅

に、白砂が連なり、周辺の山々の緑が映る景色は非常に美しく、白馬の様だと誉めたたえ

られ、白馬江(ベンマガン)とも呼ばれています。

川岸にある、扶蘇山は、半月城と呼ばれ、扶餘の鎮山山城となっております。

大変に景色の良いところで、山城内には、数々の百済の遺跡が残されています。

見晴らしの良い所には、楼閣が設けられています。

先端は、断崖絶壁となっており、新羅・唐連合軍に追い詰められた、3000人の女官達が

身を投げた絶壁に建てられた、百花亭もあります。

美しく着飾った女官達が、あたかも、つつじの花びらの様に舞落ちて行くように見えたことか

ら、この絶壁を、落花岩と呼ぶようになりました。

百済は、日本とも関係の深い国でした。

扶蘇山の上から、ベンマガンを見降ろして、舞落ちて行った女官達の心情に、想いを寄せる

のもいいですね。

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百花亭。

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白馬江

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ここが落花岩です。