皆さんは、雨森芳州(あめのもり ほうしゅう)の名をご存じでしょうか。
おそらく、ご存じで無い方が、ほとんどでしょうね。
1990年に、韓国のノテウ大統領が訪日した際、雨森芳州の名前を取り上げて、朝日友好の
偉大な先人として紹介した時、彼の名前を知っている政治家は、ほとんどいませんでした。
江戸時代の偉大な国際人、芳州は、1668年、現在の、滋賀県高月町雨森に生まれ、儒学
の道を志し、木下順安に学びます。
新井白石などと、木下塾の秀才と称され、26才の時に、対馬藩に請われて渡ります。
以来、88歳で没するまで、高月に帰ることなく、対馬藩の、対朝外交に尽くします。
秀吉の朝鮮出兵以来、こじれていた、日朝関係の修復に、朝鮮王朝とともに、腐心し、
朝鮮通信使の往来にも、尽力しました。
彼の、功績を称え、高月町の人々は、今も、記念館を守って日朝友好に尽くしています。↓