言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
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その他勝手な思いを日記代わりに。

琵琶という楽器

2012-01-28 | 読書 本
佐宮圭・『さわり』を読んで。
琵琶の演奏をきちんと聴いたことは無い。琵琶の音はおどろおどろしくて陰気な感じがするという先入観がある。薩摩琵琶位しか知らなかったが、この本によれば「楽琵琶」「平家琵琶」「盲僧琵琶」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」「錦琵琶」が紹介されている。通常4本弦らしいが、錦琵琶のみ5弦になっている。琵琶の特徴的な響きは「さわり」と呼ばれている。さわりは、弦が振動しながら楽器の一部に微かに触れることで生まれる。(略)三味線や琵琶など、さわりのある弦の音はビーンという独特の雑音を伴う。とある。澄んだ所謂きれいな耳に心地よい音では元々ないのだ。さてこの本では琵琶演奏家・鶴田錦史という人について物語っている。本名は鶴田菊枝で別に櫻玉・欷水とも名乗った。明治44年に生まれ、平成7年に亡くなった。生まれた所は北海道の江別乙(えべおつ)屯田兵たちによって開拓された村だ。生まれた当時はテレビもラジオもなく演芸は直に聴くしかなかった。日清・日露戦争を通して琵琶語りは庶民に大人気となった。彼女は兄にその才能を見いだされわずか7歳で舞台で拍手喝采を浴びていた。それからの人生がすごいのだ。昭和5~6年頃までは天才琵琶師として活躍した。22歳で結婚し、2人の子供を授かり、夫の浮気が原因で離婚。そのショックで男として生きる決心をし、子供も他人に譲ってしまい、男装の人生を歩む。昭和に入り琵琶人気は下火になり加えて日本全体が不況になった中で、琵琶を捨て数少ないナイトクラブ等を経営するまでになり、マヒナスターズ・坂本九・水原弘・勝新太郎や永田雅一・川島正二郎などとも親交を持つ。そして江東区の高額納税者にまでなる事業家にまでなった。琵琶演奏家として復帰したのは昭和33年。このとき46歳。15年以上の空白の時があった。その演奏は円熟してゆき、やがて洋楽の作曲家武満徹と交流を持つようになり、彼の作曲となる「ノヴェンバー・ステップス」の初演を小澤征爾指揮のニューヨークフィルと演ることになる。国内で数々の賞に輝いたが、74歳の時にフランス政府から芸術文化勲章コマンドールを授与されたり、キースジャレットとの共演も成功。平成7年に亡くなった。
この本を読むまで彼女の事は全く知らなかったが、すごい女性もいたものと思う。