左の聴覚が徐々に低下して、最近は殆ど聞こえなくなった。
本来両耳で聞こえる音が、右の耳でしか聞こえてないのだから、
認識してる音の量は半減してる・・音が低いとか弱々しいのかと思うけれどそうはなっていない。
両耳が完全の時とほぼ同じなのだ。
「ほぼ」というのは、つまり左の方角からの音声が回りまわって右の耳から入ってくるからだ。
それだけだ。詳しいことは知らないけれど、人間の聴力は右に50,左に50の音量があったとして
100の音量を認識するのではなく、片耳と同じ50しか認識しないのではないかと思ったりする。
バスを待っているとき、試しに右の耳を塞いでみた。そうするとまったく音の無い町の風景になった。
これは新鮮な発見にも似た感じがした。機械の騒音・生き物の発する音・自然の音・・・
およそこれまであたり前に受け入れてきた音がピタッと止んでしまった。
音なしの生活映像が流れているのだ。日常の生活に極々当たり前にあった音が全く無いのだ。
ヘッドホンで聴いていた音楽などが突然切れて無音になった状態と似ている。
静寂という世界は音がある。しかし無音の日常生活というのは、このようになるのかと垣間見えた感じがして、
しばし風景を眺めて、感動にも似た状態でいた。
しかし耳の聞こえない人を他人が知るのは無理だと思う。
姿かたち、見たところ何の違いもないのだから。
あたりまえの社会生活に音の果たす役割は大きい。だから無音となると危険が伴う。
でも環境に恵まれるなら、聴力なしでも生活して問題は多くないと思う。
そんな思いがした。