・・誰かが問うた・・
神仏を信じ、信仰深い人は病気にならないか?
・・白ウサギ答えて曰く・・
神仏を信じていても、信じていなくても、病気になります。
・・問・・
神仏を信じ、信仰深い人は事故に遭わないか?
・・白ウサギ答えて曰く・・
神仏を信じていても、信じていなくても、
危機管理を怠れば事故に遭います。
・・問・・・
神仏に願えば、難関な試験に合格するか?
・・白ウサギ答えて曰く・・
素質と、努力の成果が合否を決めます。
合否は、願掛けとは無関係です。
・・問・・
神仏を信じ、信仰深い人が事業をはじめた場合、必ず成功するか?
・・白ウサギ答えて曰く・・
信じていても、潰れるときは潰れます。
信じていなくても、成功するときは成功します。
・・問・・・
ならば???
「 神仏を信じようが信じまいが、結果は同じ 」
という事では?・・・・
・・白ウサギ答えて曰く・・
はい、仰る通りです。
人間、死ぬ時は死にます。
病気になるときは病気になります。
交通事故に遭うこともあります。
家庭不和に悩む事もあります。
対人関係に悩むこともあります。
事業に失敗することもあります。
ただ・・ここからが肝心です。
「既に起きたこと」 ・ 「これから起きそうなこと」
をどのように捉え、
どのように感じ、
どのように対処するか、
そして、そこから何を学び、何を掴み取るか?
これこそが、宗教の存在意義なのです。
・・問・・・
そんな事なら・・
神仏を信じ、信仰したりする必要など無いと言う事に
なってしまうんじゃないですか???
・・白ウサギ答えて曰く・・
はい、仰る通りです。
別に神様を信仰する必要などありません。
ただし、「謙虚な心」と「畏敬の念」、「その姿勢」
だけは捨ててはいけません。
・・問・・・
アンタそれでも宗教家ですか???
・・白ウサギ答えて曰く・・
はい、私は宗教臭い宗教が大嫌いな、自称・宗教家です。
私が思うに・・・
信仰深さと、人格との因果関係はありません。
現に、約座屋さんの事務所には、
立派過ぎるほど立派な神棚が必ずあります。
約座屋さんは、一流?であればあるほど、
正月、節分、その他の神事などの、
作法を徹底しています。
「信心深い人は、みな立派な人だ」
というなら、
約座屋さんは、
徳の高い高貴な方々であるという事になります。
これは、宗教団体の信仰深い活動家や、
‘偉い先生‘ に対しても同じことが言えます。
「自分は徳を積んで、他人より高い位にいる」
などと思いあがっている傲慢で、
腐った信仰者や、指導者より、
特に信仰を持たない、謙虚な一般人のほうが霊的にみて、
立派であり、遥かに勝ります。
腐った宗教家、腐った信仰者は、無神論者に劣る。
「 自分は徳を積んでいる 」などと訳の分からない事を
思っている者より、
「与えた恩はすぐに忘れ、
受けた恩は死んでも忘れない人」
こう云うお方こそ、偉大であり、
そういうお方にこそ、それ相応の景色が展開する。
肝心なのは、
その人が、何を持つかではなく
「 何であるか 」ただそれだけです。
何を行い
何を考え
苦しみから何を学んだか
喜びから何を創造したか
ただそれだけです。
神様は、別にお願いされなくても、
全てを知っているのです。
神様は、言われるまでもなく、それを基準にして、
粋な計らいをしてださるのです
一寸先は光です