
演歌歌手、小林幸子さん・・・・・・・
私は敬遠する。
余計なお世話だが、小林さん、
心の方向性 修正したほうが良いと思う。
小林さん、1979年、
「おもいで酒」 を大ヒットさせた。
当時、彼女はテレビに出ると
常に 泣いていた。

「 今まで自分は大変な苦労をして来た。
大ヒットを出すまでの人生は 苦労の連続であった 」

そういった、浪花節 をひけらかすのが彼女の芸風であった。
わたしは当時、15歳 まだ幼かったが、幼ながらに思った。。


そんな彼女の芸を観るたびに、不愉快な思いがした。
いつしか、彼女がテレビに映ると不快を感じるようになった。
紅白 を見ていても彼女が出てくるとチャンネルを変えた、
貧乏神 が寄ってくるような気がして、
なんだか嫌な気分になるからだ。

演歌歌手という立場もよく判る。
演歌歌手はある程度 影 がなければサマにならない。
でも、
小林さんの場合、度が過ぎる。
それは 芸 ではなく
「 歪んだ心の習慣 」であるような気がする。

2007年に起きた 新潟県中越沖地震 のときは、
新潟県が自分の故郷だということで、
新潟の被災者の方々の事を同情して
お得意の 泣き芸 を頻繁に行った。

「被災者の苦労をを思うと、派手な衣装は気が咎める・・」
などと・・宣うて、唯一の持ち芸である
紅白の ド派手な衣装を取りやめるとか言い出して、
涙ポロポロの泣き芸・・・
お涙ポロポロ

ド派手な衣装を止めたいという願望の口実としか思えない。

被災された方々の苦しみや悲しみを思うと、
確かにお気の毒で涙が出る。
でも、それに同情して涙を流し、
哀れんでいるばかりいる事が 真心 なのか?
テレビに映るだびに、
同情の 泣き芸・・お涙ポロポロ では情けない。
かえって被災者に対して失礼ではないだろうか
こんな 芸 ばかりしていては現代の若者に笑われる。
最近の若者は 賢く 優秀 である。
一節太郎の時代は終わった
こういう 化石のような人に遭遇すると、現代の若者は、
「 ドン引き しちゃう !!! 」
と表現する。

慈悲と知恵・・勇気、希望 のみが人を幸福にする手段であり
同情からは何も生まれない。
もし、私が人から同情されたら、嫌な気分になる。
哀しい気分になる。
同情されて嬉しいとは思わない。
もし、同情される事が 嬉しい感じたら、
その時点で 私も終わり だろう ・・・
未来がないだろう・・・・
懸命に努力し、前を見つめ、
前進する意欲のある人に対して、
同情するのは 失礼な行為 と思える。
そういう彼女の 心の習慣 が、自分自身に対しても、
「 同情されるような運命を 」
引き寄せてしまうのだろう。
未来のみを意識して、
希望のみを語るのが真の慈善であると思う。
泣き言ばかり言っている人。
過去にすがってばかりいる人。
過去の苦労や不幸を自慢する人。
人に同情されたいと願っている人。

どうぞ御自由に ・・・・・と思ってしまう。
普通の演歌歌手なら、一度、
大ヒットを出せば不動の地位が築けるはずである。
ヒット曲を持つ演歌歌手は息が長い。

でも、彼女の場合、
イロイロな報道を見聞きする限り、大ピンチの様子、
いま、彼女が今すべき事は、これを期に、
自分の中から


そういう意味では ピンチがチャンス、
果たして、彼女はこのチャンスを活かす事が
出来るだろうか・・・

外からやって来るのではなく・・
自分の心が創り出す・・蜃気楼のようなものである。