
若い頃は欲しいものばかりだった・・・

高級な車が欲しい・・・
高級な腕時計が欲しい・・・
高級な料理が食べたい・・・
高級な服や靴が欲しい・・・
地位・名誉・・・人望が欲しい・・・
お金が欲しい・・・

歳を重ねる毎にそれらの欲望は消えゆくような気がする。
いまは、欲しいものなどほとんどない。
高級な料理を食べたいとも思うこともほどんどない。
好きな時に、唐揚げ定食を食べ事がができるだけで・・
ただ、それだけで・・泣けるほど嬉しい。

その反面
人様に迷惑をかけてはいけない・・・
自分の行為に責任を待たねばならない・・・
物や金より、信用のほうが大切・・

そういう思いが強くなって来た。
人様に迷惑をかけないと・・という意味に於いては、
やはりお金は大切だと思うが、
お金があったからと言って贅沢したいとは思わない。

立派な人間に成ろうとは思わない。
徳を積もうとも思わない。
「立派な人間」とは、
それを意識したり、誇っていない人であると思う。
徳は積むものではなく「捨て去るもの」と思う。

「感謝・・」尊い言葉ではあるが、、
尊い言葉も、汚されているような気がする。
煙幕・バリア・逃避・免罪符・・
思考停止の呪文として利用されるて
いる事も多い。
昨今の言霊信仰・・・
言葉の持つ本来の意味(想い)が汚されているような気がする。

呪文と化した言葉を連呼することに恥じらいを感じる。
それ以前に・・・
「お陰様で・・」と云う「想い」を大切にしたい。
謙虚に生きて行きたい・・・
正直に生きて行きたい・・・

下から目線に徹するひと・・・
謙虚なひと・・
尊敬します。
謙虚な人・・真に偉大なひとであると思う。
傲慢な人・・・お気の毒な人であると思う。

親鸞聖人は終始、「 下から目線 」の人だった。
そういう意味で、
親鸞聖人は宗教史上最大の
「 正直者 」であると思っている。

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よしあしの文字をも知らぬ人は皆
誠の心なりけるを
善悪の字知りがほほ
大そらごと の形なり
「 三帖和讃 」の一首
(一部、平仮名を漢字に変換)
親鸞聖人 88歳のときに記す
・・・ 訳 ・・・・・
善悪の二文字の意味を知ったふりをしない素朴な人は、
純真な心の持ち主であるのに、
善悪の意味を知っているような顔をするのは、
大嘘つきの姿である。
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