![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/da/0020c1b1498835ca2e85d67a56a4b3c4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
誰に対しても親切な人がいます。
何かを頼まれたら、イヤとは言わない。
(イヤとは言えない)
どんな事でも嫌な顔せず
ニコヤカな表情で何でも引き受ける。
他人から何かの被害を受けても決して怒らず、
ニコヤカに赦す。
謂れのないことで、非難中傷を受けても、
反撃せずニコヤカに笑っている。
意地悪されても、怒ったり抗議したりせず、
ニコニコ笑っている。
親切心が強く、困っている人を見ると
自分のことは後回しにして助ける。
心優しく、弱者への同情心が強い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
このような「善いひと」が・・・
自分の生き方に悩み、追い込まれて苦しくなったとします。
そして、このことを
宗教系のエライ先生に相談したらどうなる??
自称・エライ先生は・・
この人を称賛・絶賛・賛嘆するでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/teng.gif)
「あなたは素晴らしい!!!
どんな動機であれ、善行は尊い。
あなたは陰徳を積んでいる。天に宝を積んでいる、
因果報応・・他人に親切を施せばそれは必ず貴方に帰って来る。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/teng.gif)
もし、私がこの場所に居合わせたら、
相手が自称・エライ先生であっても、
遠慮なく申し上げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
「無責任な事は言わないで頂きたい!!!
貴方の単純な思想は、
人をどん底に突き落とすでしょう。
人の心理は螺旋状に渦巻いています。
そんな型にはまった定型文で
語ってはなりません!!!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
愚かな自称・エライ先生の鼻をへし折る事が出来るのは、
異種同類の「愚かを極めたウサギ仙人」
の役割であると思っています。
愚かなウサギ仙人が・・愚かさを持って、愚か者を制する。
自称・エライ先生の耳障りの良い、
その場しのぎの言葉を真に受けたら、
この善良な人は奈落の底に落ちてしまうでしょう。
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最悪の場合・・・自〇・・・
に追い込まれる可能性もあります。
私はその実例を知っています。
もし、こうなった場合・・
自称・エライ先生は言うでしょう・・
「霊的な要因でこのような結果になりました」
後付けの霊言・・・です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
自分に理解・説明できないことは何でも
「霊的な事象」とい言って逃げるのです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/knamida.gif)
行為に意味はない。
「行為の前提」が重要。
「善い行い」「優しい人柄」という行為(現象)に意味はない。
その行為(現象)の前提こそが肝心。
コンプレックスの反動としての
「善行」「親切」「和顔」は、
自分の身を削る。。。
得るものはない。
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自己肯定感が低いひとのなかには、
コンプレックスや抑圧の反動として、
自己防衛の為に「善い人を演じる」
場合がある。
これを心理学では「防衛機制」と言うらしい。
綺麗ごとばかり言ったり・・・
人に対して過剰に金品を貢いだり・・・
過剰な親切を施したり・・・
この前提は・・
自分に自信が無い。
潜在的な大きなコンプレックスを内在してる。
自信喪失が慢性化すると、
人から嫌われることに過剰な恐怖感を持っようになる。
このような人は、
自己防衛の為に「常に良い人を演じ続ける」という
性癖を身に着けてしまう場合もある。
良い事をしているが、
その行為とは、
自己否定とコンプレックスの裏側であり、
「善い行い」を「楽しんでいる」のでなく、
自分を追い込み、「苦しんでいる」。
こういうタイプの人間は「自分と他人との境界」
が出来ていないことが多い。
それ故に、何かを頼まれると断ることができない。
自分の正当な権利や利益を主張することができない。
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この「境界線」が構築されていないと、
どんな場合も、
自分を犠牲にすることが善い事であり、
宿命であると思うようになる。
それは強迫観念でもある。
そのキャラクターを維持することが
自分の居場所を確保する唯一の手段であり、
それ以外に自分の居場所を確保する術が思いつかない。
そして、極限まで自分を追い込んでしまう。
このような人格が形成された背景には、
多くの場合、成長期に於ける
親子関係、若しくは人間関係が起因しているように感じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0220.gif)
私の知る限り・・・
これが重症化すると、自己破壊を招く・・・
このようなお気の毒な「善人」は多く見て来ました。
胸が痛みます。
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まず、肝心なことは、
1・・・「善行の前提」「良い人である動機」。
2・・・「人情深く、同情しやすい性格」の前提。
3・・・優しさの裏側にある「心の弱さ」・・・
この3つをを見極めること・・
もし、この3項目が
「良い人」「善人」の前提だった場合・・・・
お互い、痛みは伴いますが・・・
この部分を鋭くエグリ出し、
そのあと、「本当の自分」「真実の自分」
を見つける手助けする必要がある。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/v.gif)
不自然な心理的動機を軸とした
「善い人を演じる」行為を
取りあえず辞めさせないと悲惨なことになる。
この「魔物」を追い払うことを
何よりも最優先しなけらばならない。
魔物を追い払ったとき、
「真実の自分」が光を放つ。
真実の自分とは、神の分霊・・仏の分身。
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もちろん・・・善行は尊い事である。
されど、そんな事・・・誰でもわかっていることです。
そんなレベルの話は昭和の
度経済成長期までのお話しです。
人間は進歩している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0005.gif)
誰にたいしても・・
どんな時でも・・・
どんな場所でも・・
エンドレステープのように
定型文を連呼する輩にはご用心あれ。