無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 残したい庄内の建物

2025-03-04 13:22:24 | 歴史


2月15日、飽海地域史研究会では東北公益文科大学の温井亨教授による「残したい庄内の建物」について講座が開催された。


全国的にも保存しておきたい建物が解体される事案が増えている。
山形県の近代化遺産の内、庄内では酒田の山居倉庫などは保存活用されているが、同じような用途だった鶴岡倉庫は残念なことに解体されてしまった。



鶴岡駅の近くにあった鶴岡倉庫


近隣のホテルから撮された写真。


平面図。


計測した断面図


純トラスでもない構造


保存活用も検討されていた。


これは庄内町の農業倉庫。


内部はリニューアルされ活用されている。


催しも開催されるようになった。


鶴岡には森の山と言う残したい行事がある。
(酒田でも地持院でお盆も過ぎた頃に森の山が行われている。)


森供養は実際に山に登って行われている。


途中のお堂にもお参りする。



最終的な阿弥陀堂での供養。


国の無形文化財で、柳田国男の言う先史時代の祖先信仰を伝えている。


赤川水系の青竜寺川を私財を投げ打って開削した工藤掃部の屋敷跡。
過去の写真には掘が写っていた。


工藤掃部の碑



酒田市十里塚の漁村集落
昔は魚の群れを見張る櫓が立てられていて、地引き網で漁を行っていた。
時代が流れると、砂浜から国道近くに引っ越しする者が多くなった。


安部公房の「砂の女」の舞台になった、砂の降る村が現存している。


風と砂から家を守るために、黒松の防砂林が植えられた。



北前船の寄港地、酒田湊の花街は3箇所あった。
その中の一つ高野の浜の待合は、昭和33年の赤線廃止まで営業していた。
その後遊郭だった建物は旅館や下宿に姿を変え現在に至る。


元遊郭の海望楼の松美屋旅館と松山旅館


松山旅館の内部


道路に面した正面は旅館には見えない。
(松山さんは子供会活動で蕎麦打ちをするなど、人気だった。TV番組のなんでも鑑定団に竹下夢二の掛け軸を出し、1000万円の値がついた。)


一方、船場町は酒田甚句でも花街の1つとして歌われている。
船場町で米屋を営むAさんのお宅は、広い庭に大きな稲荷さんの祠を配している。



酒田の強い季節風から家を守るために防風林としてタブの木を植えている。



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