「いらち」」 落ち着きがなくイライラと焦り自分を見失っている状態、の私の解釈だ。
今日は朝から梅雨で蒸せて不快指数が満開だ。
何かに追いかけれれているような、何をやらなければ、、と落ち着かない。
貧乏性で生産を、、、じっとしていれない。
二本、手ぬぐいを見つけていた。
何をせずとも、今日のノルマの生産は、これを使ってマスクを縫うこと。
見た目は良し! 着けごこち良し!
昨日は久ぶりに本を読んだ。
夢中になり一日で一冊を読み上げるなぞは何十年ぶりだろう。
帚木蓬生の「移された顔」
医師で作家の彼の作品はいままでも何冊か読んだ。
いつもスリルがあり、面白い。
事故で顔を失った人に他人の顔を移植する。
臓器移植の分野で、今世紀になってにわかに浮上をした顔移植の物語だ。
医師である彼の取り上げた、取り上げることの使命感の物語だろう。
そかが、この作品のストーリーも心理描写も何か無理があり、興味があって読み終えたけれど、いつもと違う、物足りなさがあった。
寝たのが12時ちかく。目覚めたのが5時。
それが「いらち」の原因だ。神経は冴えているが身体がついてゆかない。、
私は自慢じゃありません、老人なんです。シニアを名乗っていても無理の利かない老人だ。
今日の体調など、ほとほと、思い知らされる。
でもマスクを二枚縫いました。、、、とさ!
👒、 麦藁帽子ブレーキ踏まず坂下る
🚙 日の盛ドタドタ空のダンプカー