老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    いらちのシニア

2020-06-17 13:02:01 | シニア

  

 

「いらち」」  落ち着きがなくイライラと焦り自分を見失っている状態、の私の解釈だ。

今日は朝から梅雨で蒸せて不快指数が満開だ。

何かに追いかけれれているような、何をやらなければ、、と落ち着かない。

貧乏性で生産を、、、じっとしていれない。

 

   

 

二本、手ぬぐいを見つけていた。

何をせずとも、今日のノルマの生産は、これを使ってマスクを縫うこと。

 

 

          

 

見た目は良し! 着けごこち良し!

 

昨日は久ぶりに本を読んだ。

夢中になり一日で一冊を読み上げるなぞは何十年ぶりだろう。

 

     

 

帚木蓬生の「移された顔」

医師で作家の彼の作品はいままでも何冊か読んだ。

いつもスリルがあり、面白い。

事故で顔を失った人に他人の顔を移植する。

臓器移植の分野で、今世紀になってにわかに浮上をした顔移植の物語だ。

医師である彼の取り上げた、取り上げることの使命感の物語だろう。

そかが、この作品のストーリーも心理描写も何か無理があり、興味があって読み終えたけれど、いつもと違う、物足りなさがあった。

 

寝たのが12時ちかく。目覚めたのが5時。

それが「いらち」の原因だ。神経は冴えているが身体がついてゆかない。、

私は自慢じゃありません、老人なんです。シニアを名乗っていても無理の利かない老人だ。

今日の体調など、ほとほと、思い知らされる。

でもマスクを二枚縫いました。、、、とさ!

 

    👒、    麦藁帽子ブレーキ踏まず坂下る 

 

    🚙     日の盛ドタドタ空のダンプカー    

 

 

 

   

コメント
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