坂本龍一さんが闘病中、最後まで作り続けていたのが、徳島県にある過疎の町、神山に新たに設立された「神山まるごと高専」の校歌だった。
4月2日、校庭には満開のしだれ桜。
人口が5000人に満たない過疎の町に今年、「神山まるごと高専」という変わった名前の高専が新設された。
名だたる企業から100億円を超える出資を集めて設立されたという。
世界中から集まった、1期生44人の新入生の誕生。
地元出身の生徒は、ほんの数名。
外国から、日本全国から、起業家を目指す若者が入学をした。
頼もしい。。
坂本龍一さんの、最後の曲となったのが、この学校の校歌であった。
このニュースにで、世界に向けて カミヤマ なる町の名前が発信をされた。
神山の発展を祈るばかりである
この神山町。
私にとっても懐かしい町だ。
30年前、初めての俳句作り。
師と仰いだのは。豊川湘風先生。
富安風生さんが郵政次官の時の秘書官だった湘風先生に、俳句を一から教えていただいた。
湘風先生に俳句を教えてもらっていた先輩に、神山の旧家の奥さま、つた女
さんがいた。
今の私より若かったかな?
一年中、和服姿の方だった。
彼女のお世話で、名前は忘れてしまったけれど、とあるお寺で一泊の吟行句会をしたこことも。
@ すつてんと転んで笑ふ寒さかな つた女
広い畳敷きの本堂で滑って転んだ、つた女さんの句が特選に。私も勿論、選にとった。
三椏の花を見に連れて行ってもらったり、冬には氷瀑となる神通の滝へ案内をしてもらったり、夏の鮎料理の店に行ったりした。
徳島時代の懐かしく思い出す、お隣の町である。
師も先輩のつた女さんも、向こうの世界に行かれてしまわれた。
邪馬台国は、ここ神山にあったと言う説があったことも。
桜の頃も良いだろうが、梅の町として探梅の吟行には、もってこいの町であった。
ちなみに前も一度書いたことがある。
NHKの女性アナウンサーが、鮎喰川(あくいがわ)を アユクイガワと言った。
間違いもあろうさな。。。。
しかし今、全国ネットで人気を博しているアナウンサーを毎日見ているから、記憶力の無い私が連想をし、この神山町を流れているのが鮎喰川なので、神山へ思いを馳せる次第かもな~。
🐸 選句忘れ河鹿の笛に耳すます
始めて聞いた河鹿笛は鮎喰川だった。
⛄ 凍滝へ道を尋ねる人もゐず