木の切株より生まれる木の芽を蘖と呼ぶ。
俳句をやらなければ、私は一生、蘖と言う言葉を知らなかっただろう。
先日の選挙の投票所が近所の小学校だった。
校門を入り、投票所に行く場に、古い大きな切株があり、そこに蘖が生えていた。
楠の木?
この学校へ通った生徒達は朝に夕に、大きな樹の下で語らい、笑い泣き親しんだ事だろう、、、と思いつつ見た。
校庭の隅には 二宮金次郎 の像もあり、選挙の時くらいしか要の無い学校だけれど、なぜか懐かしく郷愁を憶える場所である。
生徒が育てている花菜がすでに茎立ちに。
🌊 茎立や縣を分つ潮けむり 梅子
40年も前の師、斎藤梅子さんの、大景を詠んだこの句を即座に思い出した。
最近は物忘れが多く、自分の句さえ思い出せない悲しさ。
🌲 蘖の傍らに置く頭陀袋
🌲 ひこばゆる想い出つまる大樹かな