🍃 スメタナの曲流れくる秋の草
🍃 秋の草抱へて美術教師来る
🍃 名月や白鳳遺跡とは穴ばかり
🍃 名月や愛犬乗せて沖に出る
🍃 秋の草看板降ろす臨時駅
この五句、俳句365で、夏井いつきさんが採って 下さった句。
しかしこの句も我が敬愛する結社では、全没であろう。
季語は動く、新しい発見は無い、月並みである。
いつきさんは、今や超人気物になり、全国を八面六臂、駈けずり 廻っている。
俳句人口は少し、いや多く増えたことだろう。
有名なタレントに歯に衣きせず、作った俳句の選評をする、テレビ番組で「プレバト」と言う番組がある。一枚の写真を見せて、この写真から、俳句を作らす。ようするに連想俳句だ。美しい写真を見て、思い思いの俳句を、出演しているタレントが詠み発表をする。
芥川賞 を取った、作家とて、容赦なく選評をする。今どきのぽっと出の小生意気なタレントなど、句評もできぬと言う。あたりまえのことをあたり前に言っているが、世間一般のテレビファンはあれで、少しストレスを解消しているなではないかと思う。
可愛いタレントや、中堅のタレント、時には昔NHKの大河ドラマで主役をはった有名な女優達、が出演している。オールマイティーと思っていた有名人が、俳句は駄目だったと、視聴者は、少しわが身にことよせて、安らいでいるのではないか。
俳句は、正直難しい。いつきさんの句を読んでみると解る。彼女の句は素晴らしい。
言っているのは、あくまで、世間向け。
いつきさんはそこらのタレントより、頭の回転が早く、あゝ言えば、上祐どころでは無い。気の効いた言葉で、丁々発止、へたな漫才よりずっと面白い会話が交わされる。
テレビの視聴率が一週間に一度、新聞で発表されている。なんとなんと、私の好きな、「相棒」も、翳をひそめる順位である。「プレバト」はトップにいつも位置している。
これも、俳句 である。
そうして、一方でもう一つの俳句。
伝統を重んじ、季語を大切に、美しい日本語を守る。
平明で、レトリックを使わず、格調高く、詠いあげる。
なつきさんのファンだし、なつきさんを否定をしてはいない。が、10年先で俳句の世界はどうなっているかを考える時、生き残っているのは、安易に誰でも作れる俳句だろうか?それとも、芭蕉に発した、連歌の最初に詠まれた「発句」と呼ばれる伝統の俳句だろうか?
私は、季語を一番に尊重している先生に、勉強させてもらっているにもかかわらず いつきさんの俳句にも投句する。そんな、ジレンマがいつもある。
プレバトの功罪を思う。良いに決まっている。俳句人口が増えたのは、いつきさんのおかげである。
365で、いつきさんに採ってもらった句。
三句までは出された季語から、連想して、頭の中で作った句。
臨時駅の看板を降ろしている句は、見たままを仕上げた句。
年に一度だけ、香川県、西部の町の 津嶋神社の祭りで、海岸に停車する臨時駅がある。
祭りが終わり、看板を草の葉の上に下した。
名月の白鳳遺跡の句も、想像では無い。
故郷に、残っていれば、奈良の法隆寺より、大きな規模の寺があったらしい。
白鳳時代の廃寺遺跡として、管理されている。
そこは、今では伽藍を支えていた、大きな穴があるばかり。俳句に詠んでも、地味な句である。
取り柄は 穴ばかり と発見したことであるが、説明をしなければ、情景は浮かばない句なのである。
故郷賛歌と自分では思っている。
良いとか悪いとか言っているのでは無い。複雑な気持ちの句ばかり。季語から入ってゆかなければ、いくら選をされても、満足感が少ない。
頭の体操で投句した。選句してもらっていながら、どうもしっくりこない。
反省の意味をこめて、ブログに載せた。
そして、我が愛する息子がこう言う。
全没、全没、と嘆かないで、オソマツ、オソマツと自分の事を言わないで、知らない人は、ほんとうに、母さんの句、オソマツと思うよ、だって。
親を欲目に、見ている。
🍃 秋の草抱へて美術教師来る
🍃 名月や白鳳遺跡とは穴ばかり
🍃 名月や愛犬乗せて沖に出る
🍃 秋の草看板降ろす臨時駅
この五句、俳句365で、夏井いつきさんが採って 下さった句。
しかしこの句も我が敬愛する結社では、全没であろう。
季語は動く、新しい発見は無い、月並みである。
いつきさんは、今や超人気物になり、全国を八面六臂、駈けずり 廻っている。
俳句人口は少し、いや多く増えたことだろう。
有名なタレントに歯に衣きせず、作った俳句の選評をする、テレビ番組で「プレバト」と言う番組がある。一枚の写真を見せて、この写真から、俳句を作らす。ようするに連想俳句だ。美しい写真を見て、思い思いの俳句を、出演しているタレントが詠み発表をする。
芥川賞 を取った、作家とて、容赦なく選評をする。今どきのぽっと出の小生意気なタレントなど、句評もできぬと言う。あたりまえのことをあたり前に言っているが、世間一般のテレビファンはあれで、少しストレスを解消しているなではないかと思う。
可愛いタレントや、中堅のタレント、時には昔NHKの大河ドラマで主役をはった有名な女優達、が出演している。オールマイティーと思っていた有名人が、俳句は駄目だったと、視聴者は、少しわが身にことよせて、安らいでいるのではないか。
俳句は、正直難しい。いつきさんの句を読んでみると解る。彼女の句は素晴らしい。
言っているのは、あくまで、世間向け。
いつきさんはそこらのタレントより、頭の回転が早く、あゝ言えば、上祐どころでは無い。気の効いた言葉で、丁々発止、へたな漫才よりずっと面白い会話が交わされる。
テレビの視聴率が一週間に一度、新聞で発表されている。なんとなんと、私の好きな、「相棒」も、翳をひそめる順位である。「プレバト」はトップにいつも位置している。
これも、俳句 である。
そうして、一方でもう一つの俳句。
伝統を重んじ、季語を大切に、美しい日本語を守る。
平明で、レトリックを使わず、格調高く、詠いあげる。
なつきさんのファンだし、なつきさんを否定をしてはいない。が、10年先で俳句の世界はどうなっているかを考える時、生き残っているのは、安易に誰でも作れる俳句だろうか?それとも、芭蕉に発した、連歌の最初に詠まれた「発句」と呼ばれる伝統の俳句だろうか?
私は、季語を一番に尊重している先生に、勉強させてもらっているにもかかわらず いつきさんの俳句にも投句する。そんな、ジレンマがいつもある。
プレバトの功罪を思う。良いに決まっている。俳句人口が増えたのは、いつきさんのおかげである。
365で、いつきさんに採ってもらった句。
三句までは出された季語から、連想して、頭の中で作った句。
臨時駅の看板を降ろしている句は、見たままを仕上げた句。
年に一度だけ、香川県、西部の町の 津嶋神社の祭りで、海岸に停車する臨時駅がある。
祭りが終わり、看板を草の葉の上に下した。
名月の白鳳遺跡の句も、想像では無い。
故郷に、残っていれば、奈良の法隆寺より、大きな規模の寺があったらしい。
白鳳時代の廃寺遺跡として、管理されている。
そこは、今では伽藍を支えていた、大きな穴があるばかり。俳句に詠んでも、地味な句である。
取り柄は 穴ばかり と発見したことであるが、説明をしなければ、情景は浮かばない句なのである。
故郷賛歌と自分では思っている。
良いとか悪いとか言っているのでは無い。複雑な気持ちの句ばかり。季語から入ってゆかなければ、いくら選をされても、満足感が少ない。
頭の体操で投句した。選句してもらっていながら、どうもしっくりこない。
反省の意味をこめて、ブログに載せた。
そして、我が愛する息子がこう言う。
全没、全没、と嘆かないで、オソマツ、オソマツと自分の事を言わないで、知らない人は、ほんとうに、母さんの句、オソマツと思うよ、だって。
親を欲目に、見ている。
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